祇園祭という行事は、その起源を遠く平安時代の京都にまでさかのぼります。貞観11年(869年)、都に疫病が流行した折、人々は、その原因が疫神や怨霊の仕業に違いないと信じ、この平癒を神に祈願したのが事の起こりで、御神幸行事の一つです。
戸畑の祇󠄀園は、江戸時代後期に始まりました。
飛幡八幡宮記録によれば、享和2年(1802年)、戸畑村に疫病が蔓延し、村人が非常に苦しんでいましたので、ご祭神・須賀大神に平癒祈願をおこなったところ、ようやく終息しました。そこで、享和3年(1803年)7月、お礼に山笠をつくり神社に奉納したとあります。
須賀大神が、旧戸畑村の八幡神社(東大山笠・西大山笠)と菅原神社(天籟寺大山笠)、旧中原村の中原八幡宮(中原大山笠)に祭られていた関係で、4基の山笠が伝統を守っています。
(注)戸畑祇󠄀園の「祇󠄀」という文字は、正式には「ネ氏」ですが、OSにインストールされているフォントにより偏が「示氏」と表示されることがあります。