昭和12年に完成した「皿倉登山道(表登山道)」の景勝地として、当時の小学生により、15の地点が選ばれ、それぞれに石標が建立されました。
北九州国定公園内にあり、ほとんど手が加えられることもなく、自然のままに任せてきたため、長い年月の経過と共に、すっかり変わってしまったものもあります。
石標は今も残っていますので、当時の景色を思い浮かべながら、山登りをしてみてはいかがでしょうか?
昭和12年に完成した「皿倉登山道(表登山道)」の景勝地として、当時の小学生により、15の地点が選ばれ、それぞれに石標が建立されました。
北九州国定公園内にあり、ほとんど手が加えられることもなく、自然のままに任せてきたため、長い年月の経過と共に、すっかり変わってしまったものもあります。
石標は今も残っていますので、当時の景色を思い浮かべながら、山登りをしてみてはいかがでしょうか?
登山口、最初の石標である。広葉樹林に交じって早春のヤブツバキが美しい。
「幾世」とは、「いくよ」とも読み、多くの時代に語り継ぐことを願ってつけられたのか。
昭和28年、北九州大水害以前は小さな滝があり、小さな寺と不動明王の石像の下で滝にうたれ合掌念仏する善男善女の姿を見ることがあった。この樅の木はお寺のすぐ前にあり、樹齢100年を超え、「大師樅」といわれた。
一汗かいて、眼下にひろがる市街、洞海湾を眺めるには格好の休息地である。
また、振返ればおおいかぶさるように皿倉山がそびえ、花尾山が指呼の間に見える。
一息いれて両手にすくって、汗をぬぐう様子が目に浮かぶ。
今はきれいな湧き水も大水害できえたが、この先50メートルに新しい湧水があり渇きを癒してくれる。
ここからの眺めは、黒崎地区を中心に二島、脇田、芦屋を経て響灘が開ける。
その眺めが扇状に開けることからこの名がついた。ぴったりの名前である。
ここは、五合目、「花尾分かれ」と呼ばれ、登山道の分岐点である。
初代は枝ぶりのよい松が地蔵堂の後ろにあったが、虫害で枯れ、現在、二代目の松が植樹され、心を癒す。
急峻な谷のほとばしる水を浴びて右手に大きな岩が見える。どっしりと腰をすえたその姿に大きな感動を覚える。
この先、200メートル先に、「宿弥の松」と呼ばれた大樹があった。
今は、もう枯れてしまって、朽ち果てた株のみとなった。
春告鳥ともいわれ、日本人にもっとも親しまれている鳴禽で、ホーホケキョとさえずるが、時としてケキョケキョとなくを鶯渡りという。その美声は山にこだまする。
秋深む頃、この付近一帯はイロハモミジが群生し、秋を彩る。
「巌楓」を抱えるように苔むした巨岩が見える。この大きな岩は、太古の歴史を物語るようにゆったりと居すわっている。
樹齢を誇る楓と杉のコントラストにしばし見とれ足元の谷を見下ろせば、苔むす石橋が歳月の重みを感じさせる。
樹齢いくばくであろう。巨大な大杉が山道の両側に林立する。
「おーい、大木くん・・・そこから何がみえるかい」と呼びかけたくなる。
皇后杉とは、神功皇后が西征の折り、この山の杉を軍船の帆柱に伐りだしたという伝説に由来するもので、樹種は綾杉と聞く。
皿倉山と権現山にはさまれた台地は馬の背のよう。
左右に振り分け、かつては東に周防・豊前、西に筑前・筑後が一望できたであろう。
平成29年に、旧八幡市制100周年を記念して、皿倉山の新たな景勝地を選ぶため、「皿倉八景選抜総選挙」を行いました。
1年間の市民投票の結果、選び出された「皿倉八景」は、現在の皿倉山の自然と眺望を楽しめるスポットとして、これから多くの方に愛されることでしょう。
八幡東区役所総務企画課
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