明治22年(1889年)4月に市町村制が施行され、尾倉(おぐら)村・大蔵(おおくら)村・枝光(えだみつ)村が合併して、八幡(やはた)村が誕生しました。「やはた」と名付けられた由来は、この三つの村とも産土神様(うぶすなかみさま)八幡神社を祭っていたので、新村の名を「八幡」にしたといわれています。
八幡のあゆみ
更新日 : 2022年6月30日
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「八幡」の由来
「村」から「町」へ
明治33年(1900年)、八幡村は八幡町となり、翌明治34年(1901年)、官営八幡製鉄所の創業とともに全国から人が流れ込むようになり、めざましい発展を遂げました。
「八幡市」へ
大正6年(1917年)には、市政施行により、八幡市が誕生しました。
現在の八幡東区役所正面入口付近の石垣や階段は旧八幡市庁舎の面影を残しています。区役所の敷地内には、旧八幡市の市歌碑や大正11年(1922年)に一般公募で作られた「八つの日の丸の旗」を組み合わせた旧八幡市章碑があり、北九州市八幡東区となった今なお、八幡市時代に思いをはせることもできます。
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