はじめに
かつて日本一の石炭積出港として栄えた若松は、伝統的な文化・行事、歴史的建造物が数多く残り、また海岸線や緑地などの自然にも恵まれています。
その一方で、環境・物流・製造・エネルギー分野など、本市の産業振興の基盤ともなる、企業進出、インフラ整備が進んでいます。
若松区役所としては、市民生活の視点から、若松をもっと“知って”“見て”そして“体験”していただくため、“わかまつ自慢”と題して、若松区の魅力をまとめました。
この“わかまつ自慢”をご覧いただき、若松を新たに、今まで以上に、好きになっていただければ、幸いです。
(1) 『エコが体験できる“まち”』
本市自慢の「環境未来都市」を学び体験できます
(2) 『憩いの空間となる公園が充実した“まち”』
大規模な公園や本格的な展望台のある公園が整備されています
(3) 『マリンレジャーや福岡屈指の夕日が堪能できる“まち”』
市内で唯一の海水浴場や大規模な海釣り施設などがあります
(4) 『スポーツ施設が充実した“まち”』
大規模グラウンドや体育館、屋内プールなどが整備されています
(5) 『石炭積出港として栄えた歴史を伝える“まち”』
歴史的な建造物や芥川賞作家「火野葦平」資料館が整備されています
(6) 『新鮮な食材が豊富にある地産地消の“まち”』
日本有数の漁場と農地に恵まれています
(7) 『伝統のお祭りが受け継がれる“まち”』
地域に根ざした祭りや市を代表する花火大会があります
(8) 『豊かな未来を築くための教育・研究の“まち”』
グローバルな視点で教育・研究活動を行う学術研究都市があります
⇒若松物語Vol.9 街の魅力がぎゅっとつまった 若松へのワンデートリップ(外部リンク)
地名の由来
「若松」という地名の由来は、恵比須神社の『恵比須神社縁起』に書かれています。
それによると、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)と神功皇后(じんぐうこうごう)が熊襲を征伐したとき、洞の海に霊石を見つけ、これを神体としてまつり、神社の海辺に小松を植えました。
このとき、お供をしていた武内宿弥(たけのうちのすくね)が、「海原(うなばら)の滄瞑(そうめい)たる、松の青々たる、我が心も若し」(意味:松が一面にみずみずしい緑色をしていて、その向こうに青々とした海が広がっているのを見ていると私の心も若やいでまいります)と言ったことから、「若松」の地名になったと伝えられています。また他に若い松が多い所だったので、この名がおこったという説もあります。
沿革
室町期から見える地名「筑前国御牧(みまき)郡」(遠賀郡のうち)
慶長 5(1600)年黒田長政が「福岡藩筑前国」に入る(遠賀郡のうち)
明治 4(1871)年廃藩置県、若松は「遠賀郡10区」に属する
明治22(1889)年市制町村制施行により4つの村が誕生
「遠賀郡若松村・石嶺村・洞北村・江川村」となる
明治24(1891)年町制施行により「遠賀郡若松町」となる
明治41(1908)年江川・洞北村合併により「島郷村」となる
大正 3(1914)年市制施行により「若松市」となる
昭和 6(1931)年島郷村と合併(編入)
昭和38(1963)年5市(門司・小倉・若松・八幡・戸畑)合併。「北九州市若松区」となる
若松区役所へのアクセス
公共交通機関利用
1.JR折尾駅-(JR20分)-若松駅-(徒歩10分)-若松区役所 筑豊本線時刻表(外部リンク)
2.JR戸畑駅-(徒歩10分)-戸畑渡場-(船3分)-若松渡場-(徒歩5分)-若松区役所 若戸航路時刻表
3.JR戸畑駅-市営バス「若松営業所行き」「響町エコタウン行き」-(市営バス15分)-若松区役所前バス停 市営バス時刻表検索(外部リンク)
自家用車利用
北九州都市高速「紫川JC」にて小倉・戸畑・若松方面-北九州都市高速「若戸出入口」-若戸大橋又は若戸トンネル-若松区役所
若戸大橋
全長2.1キロメートル、4車線。洞海湾をまたぐ赤い橋は、3年6ヶ月の工期をかけ昭和37(1962)年9月に供用が開始されました。通行料金は平成30年12月に無料となりました。
若戸トンネル
延長2.1キロメートル、4車線。洞海湾を横断する区間は776メートルのトンネルで、このうち海底部分557メートルは沈埋トンネルとなっています。2012年(平成24年)9月15日に開通しました。通行料金は無料です。ただし、原付及び自動二輪(125cc以下)は通行不可です。