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昭和時代

更新日 : 2022年6月10日
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 昭和4、5年ごろから、防空業務に従事する活動団体として、軍部の指導で防護団が各地で設立されました。昭和12年4月、「防空法」が制定されましたが、同年7月に日華事変が発生したことにより、防空体制の整備が急がれることになりました。しかし、消火活動については、防護団と消防組が併立し、ときには対立することがあったことから、両者を発展的に解消して、新しく強力な警防組織を設けるため、昭和14年1月、「警防団令」が公布され、4月1日から施行された。これにより、長い歴史と伝統をもつ消防組は警防団に改組されました。

組織改正

 昭和4年4月30日、県告示第346号により、八幡市消防組は第六部(前田)及び第九部(黒崎)の区域の中から一部が分割され第十部が設置されました。(総定員は組頭1人、部長10人、小頭60人、消防手513人)

消防前衛隊の設置

 八幡市は、斜面が多い地形上、市街は変則的に山手に向け著しく発展していきました。そのため、動力ポンプの活動が困難な地域が多く、火災時の対策を痛感した警察署長井尾警視は、昭和6年5月消防前衛隊設置が急務であることを提言しました。そしてこの実現に努めた結果、同年11月、経費6,000円をかけて、市内30ヵ所(各部に3ヵ所)消防器具の小格納庫の設置が実現しました。
 各格納庫には、ホース3本、管そう、消火栓バルブキー1を納め、各部とも第1班から第3班に分け、各班に分け、各班に小頭1人、消防手3人を配置し担当させました。
 この制度は、後の警防分団の前身となりました。

組織及び装備の改善

 昭和9年1月11日、県告示第10号によって消防組編成中に副組頭1人が加えられ、自動車ポンプが2台から7台に増強させられたことに伴い、手引きガソリンポンプを8台から3台に減じる改正が行われました。また、昭和10年1月5日には、第四、六、十部の手引きガソリンポンプが廃止され、小型自動車ポンプ3台が配置されました。
 これにより、八幡市消防組は、部数10、自動車ポンプ10、小型自動車7台を有し、定員は組頭1人、副組頭1人、部長10人、小頭60人、消防手513人となりました。

常備消防隊の設置

(昭和11年4月1日)
 昭和5年以来、時の警察署長は数度にわたり、常備消防隊設置を市当局に要求しましたが、経費、その他の事情によって実現に至りませんでした。しかしながら時代のすう勢は、常備消防隊の設置を必要とし、時の警察署長赤司警視に至り、新制度が発足しました。
 常備消防隊本部が八幡警察署庁舎横の消防会館に置かれ、隊長以下19人の消防手並びに消防車2台を配置常駐することとされました。以後2台の自動車ポンプが増車され4台となりました。(位置は八幡市大字尾倉190番地)
 昭和13年5月5日、県令第46号により遠賀郡上津役村が八幡市に合併されたことに伴い、同区域等に第十一部が設置され、小型動力ポンプが配置されました。これにより、八幡市消防組は11部編成となりました。

警防団の編成

 昭和14年1月警防団令が公布され、消防組は、昭和8年以来組織された民間防空機関の防護団と合併し昭和14年4月1日県告示第236号により八幡市警防団となりました。
 警防団、消防、警護、警報、衛生の4部に分けられ、消防部は、解散当時の八幡市消防組の11部編成がそのままあてられました。
 更に分団は11分団に分けられ、団員3,720(実員)人で編成されました。なお、1分団の消防部員は部員以下50人、定員550人でした。

火災報知機設置

 昭和11年4月1日、八幡市常備消防隊の制度創設と同時にMM式非常報知機受信機が設置されました。(東京報知機株式会社製受信機2基、街路発信機80基、経費3万円)

官営消防署開設

 大字尾倉に八幡市全域及び小倉市の一部を管轄区域とし、警察署隣接の常備消防本部庁舎に、八幡消防署が開設された。消防署開設当初は本署のほか、出張所1箇所であったが、漸次増強され、昭和18年6月には本署及び出張所のほかに消防派出所9箇所が設置されました。

終戦後の消防体制

 昭和20年9月21日に平時機構に移行され、定員147人、消防官以外の職員4人に縮小されました。
 また、終戦直前に消防自動車18台が配置されていましたが、昭和20年10月には6台(大牟田2台、戸畑2台、若松・占領軍に各1台)が配置換され、12台の体制となりました。

消防団の発足

 昭和22年4月30日内務省勅令第185号消防団令の公布施行により、消防組から発展した警防団を解消し、自主的、民主的な消防団が組織されました。
 この消防制度の改正に伴い、消防団令が改正され、従来は警察署長、消防署長の二元的指揮下にあった消防団も警察から分離し、市長、消防署長及び団長を中心にその式命令が一元化されました。

八幡市消防団発足

 昭和22年4月30日発足し、手引きガソリンポンプが配置され、初代団長として、遠藤富善、下北一夫の2人が任命されました。
 八幡消防団 12分団 750人
 折尾消防団  5分団 250人
 ポンプ自動車 12台

自治体消防の発足

昭和20年8月15日の終戦を契機とし、日本は連合軍の占領政策の下に、政治・経済・文化等のあらゆる面にわたって、一大改革が断行された。
 消防の組織母体であった警察制度についても改革が行われ、消防の制度・組織の有り方についても根本的な検討が加えられました。
 当初政府は、警察制度及び消防制度の改革を地方制度の改革と同時に実施したい考えだったが、連合軍総司令部との間で警察制度の改革案についての調整が難航したため、日本国憲法及び地方自治制度の改正法と同時施行することができませんでした。
 昭和22年9月16日マッカーサー元帥から内閣総理大臣あての書簡で警察制度改革に関する基本方針が示され、また、同年10月21日総司令部民間情報局公安課のエンジェル消防行政官が内務省に対し「消防法に関する件」の覚書案を示しました。
 内務省では、これらに基づいて消防組織法案を作成し、総司令部と折衝後、国会に提出し、昭和22年12月23日に法律第226号として消防組織法が公布されました。

自治体消防発足時の消防施設・装備

 自治体消防発足に伴う消防施設及び装備等は、官設消防時代に使用されていたものがほとんどそのまま福岡県から移管されていました。

 当時の財政状況は、戦後の荒廃の中から立ち上がったばかりで、「火の車」の

当時の道具等

防火ずきん写真
消火器写真
手投げ消火弾写真
結襟式制服(昭和中期)写真
腕用ポンプ写真
開襟式夏制服(昭和中期)写真
管そう写真
結襟式制服(昭和中期)写真
とび口写真

このページの作成者

消防局八幡東消防署予防課
〒805-0053 北九州市八幡東区大谷一丁目3番1号
電話:093-663-0119 FAX:093-661-2542

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