昭和4、5年ごろから、防空業務に従事する活動団体として、軍部の指導で防護団が各地で設立されました。昭和12年4月、「防空法」が制定されましたが、同年7月に日華事変が発生したことにより、防空体制の整備が急がれることになりました。しかし、消火活動については、防護団と消防組が併立し、ときには対立することがあったことから、両者を発展的に解消して、新しく強力な警防組織を設けるため、昭和14年1月、「警防団令」が公布され、4月1日から施行された。これにより、長い歴史と伝統をもつ消防組は警防団に改組されました。
組織改正
昭和4年4月30日、県告示第346号により、八幡市消防組は第六部(前田)及び第九部(黒崎)の区域の中から一部が分割され第十部が設置されました。(総定員は組頭1人、部長10人、小頭60人、消防手513人)
消防前衛隊の設置
八幡市は、斜面が多い地形上、市街は変則的に山手に向け著しく発展していきました。そのため、動力ポンプの活動が困難な地域が多く、火災時の対策を痛感した警察署長井尾警視は、昭和6年5月消防前衛隊設置が急務であることを提言しました。そしてこの実現に努めた結果、同年11月、経費6,000円をかけて、市内30ヵ所(各部に3ヵ所)消防器具の小格納庫の設置が実現しました。
各格納庫には、ホース3本、管そう、消火栓バルブキー1を納め、各部とも第1班から第3班に分け、各班に分け、各班に小頭1人、消防手3人を配置し担当させました。
この制度は、後の警防分団の前身となりました。