小倉北消防署の歴史を紹介。
年 | 歴史 |
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明治29年 (1896) |
小倉町消防組設置 |
明治33年 (1900) |
市制施行 |
昭和 9年 (1934) |
小倉市常備消防組設置(隊長以下14人、ポンプ車1台) |
昭和18年 (1943) |
定員改正(89人)、小倉消防署新庁舎竣工(小倉市三萩野) |
昭和19年 (1944) |
消防突破隊5班を編成 |
昭和23年 (1948) |
消防組織法が制定され、自治体消防発足 |
昭和33年 (1958) |
現小倉北消防署庁舎落成(3階建、延面積2443平方メートル) |
昭和34年 (1959) |
はしご車、救急車を配置 |
昭和38年 (1963) |
五市合併により、小倉消防署となる |
昭和45年 (1970) |
消防艇「ひびき」を配置 |
昭和49年 (1974) |
行政区再編により小倉北消防署となる |
昭和50年 (1975) |
室町出張所に各署から救助隊員を集め、全市域に出動する「機動救助隊」を発足 |
昭和55年 (1980) |
照明電源車を配置 |
平成元年 (1989) |
新消防艇を導入、名称を「ひまわり」に改める |
平成 4年 (1992) |
市内初の救急救命士が配置され、高規格救急自動車の運用開始 |
平成10年 (1998) |
到津・日明・中原(戸畑区)の3出張所を統廃合し、井堀出張所を新設、九州地域初の「化学救助隊」を配置 |
平成11年 (1999) |
消防自動車の接近が困難な高層階、地下街等において、水損防止が期待できるインパルス消火銃が配置される |
平成12年 (2000) |
小倉北消防署ホームページ開設 高圧車を配置 |
平成13年 (2001) |
国内初の新型車両配置(新消火剤、ブースターケーブルホースなどを装備) |
平成15年 (2003) |
富野出張所を移転新築 |
平成16年 (2004) |
末広出張所と室町出張所を統廃合し、浅野分署新設 |
平成17年 (2005) |
東西方面本部制の運用開始、東部方面本部を小倉北消防署に設置 |
平成19年 (2007) |
井堀出張所に北九州市特別高度化学救助隊 通称「ハイパーレスキュー・北九州」発隊 |
平成23年 (2011) |
小倉北区中原市場火災(2棟 780平方メートル焼損) 小倉北区富野市場火災(13棟 3045平方メートル焼損) |
平成24年 (2012) |
小倉北区赤坂市場火災(323平方メートル焼損) |
平成25年 (2013) |
木造市場等防火安全対策モデル事業開始(黄金地区2市場) |
平成26年 (2014) |
小倉北区魚町銀天街アーケードで火災(12棟焼損) 小倉北消防署移転新築(大手町8番)、特別高度救助隊を配置、 第二救急隊を配置(旧小倉北救急隊を小倉北第一救急隊へ名称変更) 小倉北区の丸源ビルを消防法違反で告発 |
平成27年 (2015) |
新消防艇「ひまわり」運用開始 |
平成29年 (2017) |
木造2階建て清水屋内廊下式共同住宅の建物火災 (9棟 385平方メートル 死者6名 負傷者5名) |
平成30年 |
予防課において「予防係」を新設 「予防指導係」を「指導係」に名称変更 |
令和元年 |
少年消防クラブ設立(日明放課後児童クラブ) |
令和2年 (2020) |
新型コロナウイルス感染症感染拡大に伴い、感染者の移送のため、 小倉北第一・第二救急隊を移送救急隊として指定 |
令和3年 (2021) |
患者の移送時における感染拡大防止対策として、陰圧装置付隔離型搬送器(アイソレーター)を配置 特別高度救助隊を小倉北消防署から富野分署へ配置 |
令和4年 (2022) |
4月旦過地区の商店街等で火災(1,924平方メートル焼損) 8月旦過地区の商店街等で火災(3,324平方メートル焼損) 商店街等での火災を受け、消防職員OBからなる「防火指導員」2名を配置 |