曽根干潟は、小倉南区の曽根新田の海側に広がる517ヘクタールの干潟です。そこに、竹馬川、大野川、貫川、朽網川が流れ込み、1年間に約7,000万立方メートルの淡水と、約3,300トンの土砂を運んでいます。曽根干潟一帯は昔からの漁場です。
ここでは、カキ養殖、刺し網、定置網などの漁業が営まれています。周辺には農地や産業用地などが広がっています。
干潮時には沖合いに約5キロもの広大な干潟が現れる「曽根干潟」。大潮の時には、沖の「間島」まで歩いて渡ることができます(長靴があると便利。また、帰れなくならないように潮の時間に注意して)。ちなみにこの間島、クジラの形に似ていることから地元では、”クジラ島”とも呼ばれています。
曽根干潟は、背後の曽根新田地区とあわせて市内でも有数の野鳥の宝庫として知られています。特にここには、世界的にも数が少なくなっている「ズグロカモメ」の日本でも有数の越冬地となっていて、休日ともなると熱心なバードウォッチング愛好者でにぎわいます。
大潮の干潮時、野鳥を眺めながら間島まで海中散歩!?を楽しんでみてはいかがでしょう。
所在地 | 北九州市小倉南区大字曽根~曽根新田 |
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交通アクセス | 西鉄バス「曽根新田」下車、徒歩15分 |
駐車場 | なし |
曽根干潟は、小倉南区の曽根新田の海側に広がる517ヘクタールの干潟です。そこに、竹馬川、大野川、貫川、朽網川が流れ込み、1年間に約7,000万立方メートルの淡水と、約3,300トンの土砂を運んでいます。曽根干潟一帯は昔からの漁場です。
ここでは、カキ養殖、刺し網、定置網などの漁業が営まれています。周辺には農地や産業用地などが広がっています。
大昔の曽根干潟は、海が西側に奥深く入り込んでいたようです。記録に残されているいちばん古い干拓は、寛永の頃(1642年~1643年)、細川忠興が行ったものです。その後も江戸、明治、昭和と次々と干拓が進められて約585ヘクタールの干拓が行われてきました。
旧北九州空港跡地のあたりは、昭和のはじめまでは湿地帯で、塩田やシチメンソウの群落が広がっていました。塩田の周辺には、ススキの生えた堤防があり、松並木が続いていました。その後、埋め立てられて、いまのような海岸線になりました。曽根新田の海岸線には、いまの3分の2ほどの高さの石積み堤防があり、間島から堤防の前の砂浜まで、砂州が延びていました。
ところが、昭和17年の台風で堤防が決壊したため、砂州の砂を利用して、いまの堤防に復旧したということです。
ズグロカモメは、世界中で約3,000羽しか生息していないといわれている希少な渡り鳥で、環境庁のレッドリストでは、絶滅危惧2類になっています。
そのうち約200羽ほどが曽根干潟に飛来します。10月末ごろから訪れ、1~2月には最大数になり、2月ごろから去りはじめます。飛来したときは頭部が白い冬羽ですが、2月頃には夏羽に生えかわり、頭部が黒くなります。
それまでは、ユリカモメとの区別がつきにくいのですが、ユリカモメよりは少し小さく、くちばしは黒く短く、足は暗赤色なのが特徴です。
曽根干潟の冬の風物詩。ホウロクシギに大きさや色や形が似ていますが、腹や翼の下は白。ユーラシア大陸の亜寒帯で繁殖し、東南アジアやアフリカで越冬。曽根干潟は日本有数の越冬地で、12~3月に100羽以上が越冬します。
鮮やかな色彩の大型カモ類。環境庁のレッドデータブックの絶滅危惧種に指定されています。オス、メスともに黒緑色の頭と赤いくちばしを持ち、体は白く、胸から腹にかけて黒い線があります。ユーラシア大陸の温帯で繁殖。曽根干潟では300羽以上が越冬し、12~3月ごろ見られます。
昔はどこにでもいたそうですが、今では日本で生息が確認されているのは周防灘の九州付近と別府湾だけ。背ビレに黒色斑が2~3個あり、曽根干潟や沖合いにいます。
2億年前からその姿をほとんど変えずに生きてきたことから、『生きた化石』とも呼ばれ、ごくたまに産卵のため貫川や朽網河口で見られます。カニやエビの仲間のように思われがちですが、実はクモの仲間に近い生き物です。
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