板櫃川の戦い
更新日 : 2023年6月7日
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奈良に都が移って20年余りが経つと、全国で伝染病が流行し、天災が起きるなどして世の中は不安になっていきました。
大宰府を治めていた藤原広嗣は、これらが朝廷の役人の責任だと考え、740年(天平12年)、九州で兵を挙げました。それに対して、朝廷軍は関門海峡を渡り、板櫃川を挟んで広嗣軍と向かい合いました。この板櫃川での戦いは朝廷軍が大勝し、のちに広嗣はつかまって処刑されました。
聖武天皇が大仏造りを命じたのは、この戦いの3年後である743年(天平15年)のことでした。
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