およそ二百年前に小倉に生まれた岩松助左衛門は、57歳の時、小倉藩から難破船を救助する役に任命されました。灯台建設の願書を藩に提出した助左衛門は募金活動をして資金調達も自分で行ない、一生を灯台造りに捧げました。
助左衛門の死後、明治政府が引き継いで1873年に完成した白洲灯台は、近くを通る船が浅瀬に乗り上げないよう、今でも安全の光を灯しています。
ここでは、白洲灯台づくりに一生を捧げた岩松助左衛門と関係のある場所や残されている史跡を紹介します。
岩松助左衛門
更新日 : 2023年4月10日
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白洲灯台
助左衛門と灯台づくり
西暦 | できごと |
---|---|
1804年 | 助左衛門が小倉の長浜で生まれる。 |
1861年 | 難破船を助ける役に任命される。 |
1862年 | 灯台を作りたいという願い書きを小倉藩に出し、許可が出る。 募金活動を始める。 |
1870年 | 基礎工事を始める。 |
1872年 | 68歳でこの世を去る。 |
1873年 | 白洲灯台が完成する。 |
今からおよそ二百年前に小倉の長浜で生まれた岩松助左衛門は、57歳の時、小倉藩から難破船を救助する役に任命されました。
当時、藍島沖では浅瀬に船が乗り上げ、多くの死者が出る事故が続いており、助左衛門は灯台建設の願書を藩に提出しました。許可は下りたものの、費用は助左衛門自身が募金活動と私財を投げ打って調達しました。
その結果、明治時代になって政府が灯台づくりを引き継ぎ、完成しました。
(北九州市立いのちのたび博物館[自然史・歴史博物館]所蔵)
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岩松助左衛門にゆかりのある史跡・資料
岩松翁顕彰櫓(小倉北区城内)
助左衛門の功績を称えて、1963年に小倉城内に建てられました。毎年、この近くで助左衛門をしのぶための、顕彰祭があります。
岩松助左衛門に関する資料 (北九州市立いのちのたび博物館[自然史・歴史博物館]:八幡東区東田)
助左衛門に関係のある資料が保管されています。助左衛門が募金のために作ったチラシや寄付してくれた人の名簿などがあります。
岩松助左衛門の墓(小倉北区京町四丁目)
西顕寺という寺 の中にあります。山門を入ってすぐ正面にある燈篭が岩松助左衛門の墓です。
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