北九州市は、深刻な公害を克服すべく、他の自治体に先立って公害対策を実施しました。
公害克服の経験で培われた地域社会のパートナーシップは、現在のまちづくりや地域環境改善活動にも引き継がれています。
公害克服への取り組み
パートナーシップによる都市再生
(1) 立ち上がった市民
公害問題に対して最初に声を上げたのは、子どもの健康を心配した母親たちの市民運動でした。「青空が欲しい」というスローガンを掲げ、自発的に大気汚染の状況を調査し、その結果をもとに企業や行政に改善を求める積極的な運動を起こしました。
(2) 企業の取り組み
企業は、生産工程の改善、汚染物質の除去処理施設の設置、工場緑化などの対策を積極的に行いました。これらの対策を進めるうえで、排水処理・排ガス処理などの排出口での対策技術だけでなく、製造施設や工程の改善、省資源・省エネルギーを徹底することで環境への負荷を小さくする技術(低公害型生産技術=クリーナープロダクション技術)が導入されました。
この技術は、環境改善だけでなく生産性を向上させる経済的効果をもたらしました。
【大気汚染防止施設】
(3) 行政の取り組み
北九州市の行政は、市民の声を受け、迅速な対応を実施しました。
その一つに、公害対策組織の整備があります。公害の状況を常時監視するための公害監視センターを設置するとともに、公害について科学的に研究するための組織を整備しました。
同時に、公害防止対策を進めるために必要な財政措置や規制制度の整備、法の限界を補完するための企業との「公害防止協定」の締結、下水道や緑地の整備、廃棄物焼却工場や処分場の整備、被害者の救済など次々と画期的な環境対策を実施しました。
さらに、洞海湾では、水銀などの有害物質を含むヘドロの大規模な浚渫を行いました。
(左:1974年 ヘドロの浚渫 右:1967年 公害防止協定の締結
公害監視センター
公害対策の成果
星空の街
よみがえった洞海湾
よみがえった海と空
北九州市の環境は、この4枚の写真抜きには語れません。
日本初の近代的製鉄所の操業と繁栄、そして発生した深刻な公害問題との戦い。北九州市の歩みはここから始まりました。
公害を克服したのは、市民・企業・行政一体の取り組みの成果でした。
そして、この姿勢は現在まで変わりなく続いています。
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