1960年代、産業の隆興に伴い、日本は急激な経済成長を遂げました。特に鉄鋼、機械、化学などの重化学工業は、その牽引的役割を担いました。
しかし、「経済の成長」と「産業の興隆」は、同時にそれまで経験したことのない公害問題をもたらしました。土地が狭く、工業地帯と住宅地帯が隣接する我が国では、深刻な被害が発生しました。
それは、北九州市もその例外ではありませんでした。
北九州地域は、1901年の官営八幡製鐵所の創業以来、重化学工業地帯として発展しました。中国大陸の鉄鉱石や筑豊炭田の豊富な石炭を利用した重化学工業は、当時の日本政府の経済政策を背景に大いに発展し、北九州市は日本の四大工業地帯の一つとして発展しました。
1960年代、産業の隆興に伴い、日本は急激な経済成長を遂げました。特に鉄鋼、機械、化学などの重化学工業は、その牽引的役割を担いました。
しかし、「経済の成長」と「産業の興隆」は、同時にそれまで経験したことのない公害問題をもたらしました。土地が狭く、工業地帯と住宅地帯が隣接する我が国では、深刻な被害が発生しました。
それは、北九州市もその例外ではありませんでした。
大規模な工場が林立する洞海湾周辺地域の「城山地区」では、1965年に年平均80t/km2/月(最大108t/km2/月)という日本一の降下ばいじん量を記録しました。そして、1969年には、初めてのスモッグ警報が発令されるなど、著しい大気汚染に苦しみました。「公害の吹き溜まり」と呼ばれた城山地区では、激しい大気汚染により多くの市民がぜん息に悩まされました。
洞海湾は、閉鎖性水域であることに加え、工場からの未処理排水や市民の生活排水が流入することから汚濁が進行しました。1969年の調査では、洞海湾の溶存酸素量0.6mg/l、化学的酸素要求量(COD)48.4mg/lを記録し、大腸菌でさえすめない「死の海」と言われました。
環境局環境国際部環境国際戦略課
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