歴史
1682年、イギリス政府がこの地一帯を1万ポンドのタバコと引換えに、ニコラス・ワイズという開拓者から買い受け、入植者が集落を作り、1736年には、イギリスのジョージ2世が、当時千人の人口を有した、バージニア州最大の町ノーフォークを自治都市として布告しました。1754年にイギリス王室がノーフォーク市に贈った重さ104オンス(約2.9キログラム)長さ41インチ(約1.7メートル)の純銀製のメイス(杖)は今でもノーフォーク市のシンボルです。
80キロに及ぶ海岸線が戦略上の重要な拠点とされ、古くから海軍の基地がおかれたため、アメリカ独立戦争では、英国軍と植民地軍、南北戦争においては、北軍と南軍との戦いの舞台となりました。江戸時代末期、徳川幕府に開国をせまった米国使節ペリーの軍艦が出航した港としても知られています。
産業
天然の良港を抱え、古くから貿易が盛んであり、建設業、農業・林業・漁業、小売、宿泊・飲食サービス、経営管理・サポートサービス、製造業、芸術・娯楽が主な産業となっている。
港湾
ノーフォーク市、ニューポート・ニュース市、ポーツマス市の3つの都市の港湾を総称してハンプトン・ロード港と呼ばれています。ハンプトン・ロード港は自然水深の不凍港であり、米国東海岸の主要港の1つです。また、ノーフォーク海軍基地は世界最大の海軍施設です。