関門海峡が「関門“ノスタルジック”海峡」として、日本遺産に認定されました!!
日本遺産「関門“ノスタルジック”海峡」について
日本遺産について
「日本遺産(Japan Heritage)」は(地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。
ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を,地域が主体となって総合的に整備・活用し,国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより,地域の活性化を図ることを目的としています。
(文化庁ホームページから抜粋)「日本遺産(Japan Heritage)」について(外部リンク)
「関門“ノスタルジック”海峡 -時の停車場、近代化の記憶-」は平成29(2017)年に52番目の日本遺産として認定されました。令和3(2021)年末時点で、104のストーリーが認定されています。
関門“ノスタルジック”海峡の概要について
1 タイトル 関門“ノスタルジック”海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~
2 申請者 北九州市・下関市
3 ストーリーの概要
古来より陸上・海上交通の要衝であった関門地域は、幕末の下関戦争を契機とした下関・門司両港の開港以降、海峡の出入口には双子の洋式灯台が設置され、沿岸部には重厚な近代建築が続々と建設された。
狭隘な海峡を外国船が行き交う景観の中、日本が近代国家建設へ向け躍動した時代のレトロな建造物群が、時が停止したかのように現在も残されている。渡船や海底トンネルを使って両岸を巡れば、まるで映画のワンシーンに紛れ込んだような、ノスタルジックな街並みに出会うことができる。
4 構成文化財 全42件
ストーリーの構成文化財一覧表構成文化財の所在地の地図(PDF形式:736KB)
番号 |
構成文化財の名称 |
指定等の状況 |
ストーリーの中の位置づけ |
所在地 |
---|---|---|---|---|
1 |
六連島灯台 |
国重要文化財 |
大坂条約の約定に基づき関門海峡西端に設置された洋式灯台で、「お雇い外国人技師」R.H.ブラントン設計。白御影石造。旧暦明治4年11月(西暦1872年1月)初点灯。 |
下関市 |
2 |
部埼灯台 |
国重要文化財 |
旧暦明治5年1月(西暦1872年3月)初点灯。関門海峡東端に設置された六連島灯台とほぼ同設計、同時期に設置された双子灯台。 |
北九州市 |
3 |
九州鉄道記念館 (旧九州鉄道本社) |
国登録 |
明治21年(1888)設立された九州鉄道本社屋。明治24年(1891)竣工。石炭産出地筑豊と門司港を繋ぐ輸送手段として港湾と連携して発展した。 |
北九州市 |
4 |
下関南部町郵便局庁舎 (旧赤間関郵便電信局) |
国登録 |
現存最古の現役郵便局舎。煉瓦造2階建。明治33年(1900)竣工。金融業とともにいち早く整備された通信事業を語る施設。 |
下関市 |
5 |
若松石炭会館 |
未指定 |
若松石炭商同業組合の事務所として建設された、当時最新式の洋風建築。明治38年(1905)竣工。木造2階建。平坦な壁面は目地を多用し、石造風の表情が与えられている。石炭積み出しに港若松の歴史を象徴する建物。 |
北九州市 |
6 |
旧下関英国領事館 |
国重要文化財 |
下関に設置された英国領事館施設として、明治39年(1906)に建設された煉瓦造の建物。 |
下関市 |
7 |
旧宮崎商館 |
国登録 |
石炭輸出業を営む宮崎儀一が事務所として建てた商館。煉瓦造2階建。明治40年(1907)竣工。 |
下関市 |
8 |
旧門司税関 |
未指定 |
門司税関発足を機に、明治45年(1912)に建設された税関庁舎。昭和初期まで税関庁舎として使用。 |
北九州市 |
9 |
旧サッポロビール九州工場 事務所棟、醸造棟、組合棟、倉庫 |
国登録 |
明治45年(1912)設立の「帝国麦酒株式会社」の工場施設。門司大里地区の保税機能を持つ食品加工工場群の代表的施設。事務所棟、醸造棟は大正2年(1913)竣工。 |
北九州市 |
10 |
上野ビル (旧三菱合資会社若松支店) 本館、倉庫棟、旧分析室ほか |
国登録 |
筑豊からの石炭販売、運送業を担った三菱合資会社の社屋。本館は煉瓦造3階建。倉庫棟は煉瓦造2階建。旧分析室は木造平屋建。大正2年(1913)竣工。 |
北九州市 |
11 |
門司港駅(旧門司駅)本屋 |
国重要文化財 |
九州鉄道の起点として明治24年(1891)に開業した門司駅の2代目駅舎。木造モルタル塗2階建。大正3年(1914)竣工。 |
北九州市 |
12 |
旧秋田商会ビル |
市有形文化財 |
木材や食料、薪炭などを海外に輸出する商社の社屋兼住居。ドーム形屋根を持つ塔屋及び屋上庭園が特徴。大正4年(1915)竣工。 |
下関市 |
13 |
三菱重工業株式会社下関造船所 第3ドック、第4ドック |
未指定 |
大正3年(1914)山口県下関市彦島に設立した造船所。第3ドックは大正11年(1922)竣工の石造。第4ドックは大正5年(1916)竣工のコンクリート造。 |
下関市 |
14 |
北九州市旧大阪商船 |
国登録 |
門司港を大陸航路の拠点とした大阪商船の社屋。煉瓦枠コンクリート造3階建。大正6年(1917)竣工。 |
北九州市 |
15 |
料亭金鍋本館、表門 |
国登録 |
港湾と鉄道整備に伴って拡大した若松の市街地において、明治、大正期から営業していた多くの料亭の中でも著名な店の一つ。経済人や文化人が集った場所として広く知られる。本館は木造3階建。大正6年頃(1917)竣工。 |
北九州市 |
16 |
旧古河鉱業若松ビル |
国登録 |
筑豊炭田で産出された石炭の中継地として活況を呈した若松を代表する洋風建築物。煉瓦造2階建。大正8年(1919)竣工。 |
北九州市 |
17 |
杤木ビル |
未指定 |
造船と船舶代理業を行う栃木商事の本社ビル。当時としては珍しい半地下室、自家用浄化槽等を備える鉄筋コンクリート造3階建。大正9年(1920)竣工。 |
北九州市 |
18 |
山口銀行旧本店 |
県有形文化財 |
明治9年(1876)関門地域に進出した三井銀行下関支店。昭和8年(1933)の百十銀行本店を経て、19年(1944)~40年(1965)まで山口銀行本店として使用された。コンクリート造2階建。大正9年(1920)竣工。 |
下関市 |
19 |
旧俎礁標 |
国重要文化財(附) (建造物) |
明治4年(1871)に設置された関門海峡の礁標を移築した灯台。石造。大正9年(1920)竣工。平成12年(2000)に廃止されるまで、関門航路を照らした。 |
下関市 |
20 |
旧門司三井倶楽部 本館、附属屋 |
国重要文化財 |
門司に進出した商社、三井物産門司支店が接客、宿泊用に建設した施設。木造2階建。大正10年(1921)竣工。大正期の近代化を示す建物。 |
北九州市 |
21 |
岩田家住宅 主屋、土蔵 |
市有形文化財 |
岩田家は、明治32年(1899)から門司港地区で酒類販売を行った。木造2階建。大正10年(1921)上棟。 |
北九州市 |
22 |
旧逓信省下関郵便局電話課庁舎 (下関市立近代先人顕彰館田中絹代ぶんか館) |
市有形文化財 |
大正中期から後期にかけ急増した通信需要に応えるため、下関に設置された郵便局電話課の庁舎。鉄筋コンクリート造3階建。大正13年(1924)竣工。 |
下関市 |
23 |
ニッカウヰスキー(株)門司工場製造場 (旧大里酒精製造所 製造場) |
未指定 |
鈴木商店資本の食品工場群を構成した酒類製造工場施設の一部。煉瓦造平屋建。大正14年(1925)竣工。 |
北九州市 |
24 |
ニッカウヰスキー(株)門司工場 倉庫 (旧大里製粉所 倉庫) |
未指定 |
鈴木商店が明治の末に起業し、大正期を通じて操業した製粉工場倉庫。煉瓦造平屋建。 |
北九州市 |
25 |
蜂谷ビル (旧東洋捕鯨株式会社下関支店) |
国登録 |
日本の捕鯨事業の中核を担った東洋捕鯨株式会社下関支店の社屋。煉瓦造2階建。大正15年(1926)竣工。 |
下関市 |
26 |
門司郵船ビル (日本郵船門司支店) |
未指定 |
門司港駅(旧門司駅)の正面に位置し、鉄道と運輸が直結した立地にある日本郵船門司支店ビル。鉄筋コンクリート造4階建。昭和2年(1927)竣工 |
北九州市 |
27 |
旧大連航路上屋 |
未指定 |
中国・大連をはじめ、世界を結ぶ航路の中枢として、建てられた国際旅客ターミナル。昭和4年(1929)竣工。 |
北九州市 |
28 |
門司区役所 (旧門司市役所) |
国登録 |
門司港と門司港駅を見下ろす丘の上に立つ旧門司市庁舎。近代的な外観デザインを有し、関門港の発展を見守ってきた「モダンな庁舎」鉄筋コンクリート造3階建。昭和5年(1930)竣工。 |
北九州市 |
29 |
関門ビル (旧関門汽船株式会社) |
未指定 |
門司港―唐戸間の連絡船などを運航する関門汽船が建設した、数少ない戦前の事務所ビル。鉄筋コンクリート造5階建。昭和6年(1931)竣工。 |
下関市 |
30 |
三宜楼 |
未指定 |
経済発展を遂げた関門港を代表する大型旅館。現存九州最大の木造3階建。昭和6年(1931)竣工。 |
北九州市 |
31 |
中国労働金庫下関支店 (旧不動貯金銀行下関支店) |
未指定 |
下関側の銀行街に建てられた、画期的な免震基礎を持つ旧不動貯金銀行下関支店。鉄筋コンクリート3階建。昭和9年(1934)竣工。 |
下関市 |
32 |
北九州銀行門司支店 (旧横浜正金銀行門司支店) |
未指定 |
貿易融資や外国為替を専門に扱った横浜正金銀行の支店。鉄筋コンクリート造2階建。昭和9年(1934)竣工。 |
北九州市 |
33 |
藤原義江記念館 (旧リンガー邸) |
国登録 |
明治23年(1890)頃から進出した外国系商社ホーム・リンガ商会の代理店である瓜生商会が、支配人子息、M・リンガーのために海峡を一望する高台に建てた住宅。一時英国領事の住居としても利用された。鉄筋コンクリート造3階建。昭和11年(1936)竣工。 |
下関市 |
34 |
旧JR九州本社ビル |
未指定 |
門司港に進出した三井物産の三代目にあたるオフィスビル。門司における近代化のプロセスを示す合理主義に基づいた建造物。昭和12年(1937)竣工。 |
北九州市 |
35 |
日清講和記念館 |
国登録 |
明治28年(1895)の日清講和会議の舞台となった春帆楼の敷地に建つ記念館。講和会議の関係資料を展示する。昭和12年(1937)竣工。 |
下関市 |
36 |
関門隧道下り線 関門隧道上り線 |
未指定 |
下り線は昭和17年(1942)、上り線は昭和19年(1944)に開通した世界初の海底鉄道トンネル。海底トンネルの開通で初めて下関と門司が地続きとなった。「海峡七路」の先駆け。 |
北九州市/ |
37 |
世界平和パゴダ |
国登録 |
昭和33年、国内唯一の本格的ミャンマー式寺院として門司の和布刈公園内に建立。国際都市門司の地で日本とミャンマーの親善を記念する建造物として、地域のランドマークとなっている。 |
北九州市 |
38 |
ホーム・リンガ商会 |
未指定 |
下関の瓜生商会が代理店を務めたホーム・リンガ商会の社名を継ぎ、昭和26年(1951)に設立した船舶関係の代理店事務所。昭和37年(1962)竣工。 |
北九州市 |
39 |
下関駅の振鈴 |
未指定 |
下関駅の前身となる、明治34年(1901)の山陽鉄道馬関駅の開業当初から、振鈴が鳴り響き、列車の発着を知らせた。下関駅の振鈴は、現代にその音色を伝える数少ない例で、現存最古級。 |
下関市 |
40 |
バナナの叩き売り |
未指定 |
日本郵船による台湾航路が確立したことにより、安定して大量のバナナが関門港に輸入されるようになった。軽妙な売り口上による、露天取引は、「バナナの叩き売り」として定着し、現在も、関門の風物詩となっている。 |
北九州市/ |
41 |
フグ料理 |
未指定 |
伊藤博文が明治21年(1888)にフグ食を解禁して以来、地域の近代化とともに、郷土の代表的味覚として、多様な食文化を形づくっている。また、素材のフグは、地元では「福」に通じる「ふく」と呼ばれ、親しまれる存在となっている。 |
北九州市/ |
42 |
長州藩下関前田台場跡 |
国史跡 |
元治元年(1864)の下関戦争で四国連合艦隊陸戦隊に占拠された砲台跡。従軍写真家により撮影された写真に基づくイラストとともに、広く海外に報道され、近代化へのターニングポイントとなった。 |
下関市 |
ストーリー(詳細)
関門地域を空から見下ろすと、本州と九州とが互いに手を伸ばし、今にも陸続きになりそうな地形が目に入ります。海峡を挟んだ両岸からは、山々が海にせり出すように対峙し、そこからは大型のタンカーや旅客船が途切れることなく往来する海峡景観とレトロな近代建築が建ち並ぶ街並みを望むことができます。
関門海峡沿岸は、明治から昭和初期にかけて共に急速な発展を遂げ、当時最先端の意匠と技術で建てられた近代建築が現代の街並みの中で大切に残されています。密接な交通網で結びついた海峡両岸の港町は、渡船や海底トンネルを使って気軽に巡ることができます。
●関門海峡の歴史地理的位置
古代以来、官道や主要な街道は関門の地で結びつき、多くの人や物資の交流が行われてきました。瀬戸内海と日本海との結節点でもある関門海峡は、陸路と海路の十字路を形成し、幕末には外交や通商を迫るため、西洋諸国の黒船も通過するようになります。
その重要性を理解していた長州藩の志士は、海峡を封鎖し攘夷を実行しました。これを契機に下関戦争が起こり、日本が開国へと舵を切り、歴史の潮流を変えるターニングポイントとなったのです。
●国際港湾都市「関門港」の開港と発展
下関戦争で大敗した長州藩は、元治元(1864)年、講和使節に高杉晋作を任命して講和を成立させ、下関港は事実上、開港しました。
海外との玄関口となった関門海峡には、幕府が英国との間で締結した大坂条約(慶応3=1867年)により洋式灯台が設置されることになりました。ブラントン率いる英国人技術者集団が海峡西側の六連(むつれ)島(しま)灯台と東側の部埼(へさき)灯台を設計し、ともに1872年に初点灯され、日本の文明開化と関門海峡を照らし始めたのです。この双子の洋式灯台の灯に導かれて、江戸時代から北前船の寄港地であった下関港と、背後に筑豊炭田という石炭の一大供給地と若松という石炭中継地を抱えた門司港は、共に特別輸出港や大陸との定期航路の寄港地に指定され、国際港湾都市として一躍注目を集めることとなります。そのきっかけは、明治8年(1875)の横浜・神戸‐上海間定期航路の就航であり、その後、朝鮮との貿易港指定を契機に、創業間もない大阪商船株式会社や日本郵船株式会社が進出しました。明治22年(1889)には九州鉄道の開通にともなって門司駅(現門司港駅)が設置され、陸上と海上運輸の集散地として賑わうようになります。
関門地域の国際的な重要性を逸早く見出した駐日英国公使アーネスト・サトウの提案により、明治34年(1901)、下関に英国領事館が開設され、その5年後には煉瓦造の下関英国領事館が建てられます。これをきっかけに、明治後期から大正にかけて日本銀行をはじめとする金融、三菱や三井などの商社、鈴木商店の資本による食品工場群などの拠点が続々と関門海峡沿いに開設され、重厚な構造かつ当時最先端の意匠をもった近代建築が林立する街並みが形成されていきました。
また、この地域では、伊藤博文が春帆楼においてフグ食を解禁して以来、フグ刺しや鍋、唐揚げ、白子、鰭酒など様々なフグの食べ方を通して地元では幸福をもたらす「ふく」料理と呼ばれて親しまれているほか、海外航路の拡大に伴い、台湾から大量に輸入されたバナナの叩き売りはこの地域の名物となり、現代に伝えられています。
●「海峡七路」の完成
昭和に入り、海峡の両岸を海底で結ぶ関門鉄道トンネルの建設が計画され、昭和17年(1942)に下り線が、同19年(1944)年に上り線が開通します。この世界最初の海底トンネルの完成により、文字どおり「関門」として立ち塞がっていた海峡が、陸路によって突破されました。その後、車道・人道トンネルの開通、さらに関門橋の架橋により、関門海峡に「海峡七(かいきょうしち)路(ろ)」と称される多様な交通網が完成します。それまで陸上と海上交通の結節点としての役割を担ってきた関門地域は、本州-九州間の通過点となり、明治から昭和初期にかけての重厚な近代建築群がまるで時が止まったかのように残ることになりました。
●関門“ノスタルジック”海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~
関門海峡には、外国船がもたらした舶来文化が根付き、狭い海峡を外国船が行き交う景観の中に、日本が近代国家建設へ向け躍動した時代のレトロな建造物群が現在も大切に残されています。「海峡七路」を使って両岸を巡れば、まるで映画のワンシーンに紛れ込んだような、ノスタルジックな街並みに出会うことができます。
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