北九州市は、市民の皆さんに戦争の悲惨さ、平和の尊さを伝えていくため、「嘉代子桜・親子桜」の植樹を進めています。
「嘉代子桜・親子桜」について
今から70年前の昭和20年8月9日、長崎市に原爆が投下され、一瞬にして、町は壊滅的な被害を受け、数万人の方が亡くなりました。
原爆投下時、林嘉代子さん(当時15歳。長崎県立高等女学校4年生)は、爆心地から500メートルほどしかはなれていない城山小学校(当時の城山国民学校)で学徒報国隊員の一人として働いており、他の多くの女学生とともに亡くなりました。
戦後、嘉代子さんの母親の津恵さんは、娘や一緒に亡くなった女学生の慰霊と平和への願いを込めて同小学校に桜の苗木を植えました。その桜は「嘉代子桜」と名付けられ、今は、大木となり、毎春桜の花を咲かせています(植樹された50本のうち、現在6本が残っています)。
長崎市に投下された原爆は、当初、旧小倉市にあった小倉陸軍造兵廠(現在の小倉北区にあった兵器工場)を目標としていました。しかし、当日の上空が視界不良であったため、第二目標の長崎市に変更され、原爆が投下されたのです。
このことを顧み、北九州市は、平和への願いが込められた「嘉代子桜」に由来する桜を「嘉代子桜・親子桜」と名付け、広く北九州市内に植樹を行い、市民の皆さんに原爆や戦争の悲惨さ、平和の尊さを伝えていくこととしました。
(注1)「嘉代子桜」にまつわるお話は、書籍「かよこ桜」に詳しく掲載されています。同書籍は、市立図書館等にも所蔵していますので、ご覧ください。
(注2)本市は、「かよこ桜・親子桜を広める会」(「嘉代子桜」に込められた平和の願いを全国へ広める活動を行っている長崎の市民団体)から、桜の苗木を提供していただき、植樹を行っています。