交通手段は、船しかなかった!
洞海湾をはさんだ位置にある若松と戸畑。若戸大橋ができる前は、それぞれの場所をつなぐ交通手段は船しかありませんでした。明治、大正時代には小さな船が若松と戸畑間を往復し、人や荷物を運んでいましたが、車や馬など重いものは運べませんでした。
昭和5年には渡し船による大きな事故があり73名もの方が犠牲となりました。その後、住民から連絡道路を造ってほしいという声が高まりましたが、戦争で計画が中止になりました。
それからわずか数年で急速な時代の変化がおとずれ、車を利用する人が増えたことにより、車の通れるつり橋が必要になり、旧日本道路公団が昭和33年4月に事業着手し、昭和37年9月に若戸大橋は供用開始されました。
橋を通じてもっと快適な毎日へ
若松区と戸畑区間を行き来する方法が船しかない時代に比べると、現在はとてもスムーズになり、生活のリズムも以前より快適になりました。若戸大橋は、昭和37年9月に歩道のある2車線の道路で供用を開始しましたが、その後、交通量の増大に伴い、歩道を廃止して4車線の拡幅工事を行い、同時に都市高速道路と直結させ、平成2年3月に現在の道路網が完成しました。
平成30年12月1日に無料化を実現した若戸大橋。車社会となった現代では、北九州の交通の要として、また若松区と戸畑区を結ぶ道路として、なくてはならない道路のひとつに数えられています。