プノンペンの名前は、ペン夫人が川を流れてきた仏像を見つけ、近くの丘に祠を作り仏像を手厚く祀ったことに由来し、「ペン夫人の丘」を意味するプノンペンと呼ばれるようになりました。15世紀にアンコール王都が陥落したのちに、プノンペンがはじめて首都となりました。その後、首都機能は転々としましたが、1865年ノロドム王の時代に再びプノンペンが首都とされ、フランスの統治下で都市を整備しました。ポル・ポト時代に市民は全て地方に移動させられたため、一時期は死の町と化しましたが、内乱の収束とともに人々も戻り、活気を取り戻しました。
カンボジア王国プノンペン都について
カンボジア王国プノンペン都についてご紹介します。
姉妹都市プノンペン都は、カンボジアの首都であり、人口約228万人、面積679平方キロメートル、政治・経済・文化の中心地です。
プノンペン都の街並み
歴史
産業
プノンペン都はカンボジア最大の商業都市です。カンボジア国内総生産の約60パーセントがプノンペンから生み出されていると言われています。主要産業は、商業用農業・農産物加工、衣料品・軽工業、インフラ・建設業、教育・医療サービス、観光業です。
港湾
プノンペン都には河川港であるプノンペン港、2013年に開港したプノンペン新港(カンダール州)、海に面した国際深港のシアヌークビル港(プノンペン都から西南に約230キロ―メートル離れた場所)があります。プノンペン港はメコン川とトンレサップ川の分岐点に位置し、新港開港後は、旅客船のみの運行となっています。
姉妹都市提携の経緯
本市とプノンペン都は、1999年から水道分野での国際協力を行ってきました。その貢献がきっかけで、2015年7月カンボジア王国のフン・セン首相が、東京での日本・メコン地域諸国首脳会議終了後に本市を訪問され、その際にプノンペン都との姉妹都市交流をご提案いただきました。その後、プノンペン都と協議を重ね姉妹都市協定の締結に至りました。
おすすめの観光地
王宮
ノロドム王が当時の首都ウドンからプノンペン都へ遷都した際にこの地に宮殿を築いたことに始まります。現在はシハモニ国王と王妃の公務と居住の場となっているため、敷地内の建物は特別な式典のとき以外は閉鎖されていますが、建物のうちいくつかは前庭から風格ある外観を見ることができます。
ワット・プノン
ワット・プノンとは「丘の寺」という意味で、その名のとおり小高い丘の上にあります。歴史ある寺の一つで、その始まりは1372年、プノンペンという名前の由来となったペン夫人が建立したことが起源といわれています。
ワットプノン
国立博物館
赤いクメール様式が印象的な建物で、アンコール期の彫刻が多く収集、展示されています。考古学的にも貴重なクメール芸術の至宝が収蔵されています。
独立記念塔
1953年11月9日のフランスからの完全独立を記念して1958年に建造された塔です。塔の東側はトンレサップ川まで続く公園となっており、市民の憩いの場となっています。
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