江戸時代は、境川をはさんで、東側が豊前国、西側が筑前国というように、両国の国境になっていました。そこから、川にせっしている地域(上中原橋から両国橋の間)に「境川」という町名が付けられています。(この川は、現在、戸畑区と小倉北区の境になっています。)
境川公園があるほうが小倉北区になります。
2.正津町(しょうづまち)
現在は住宅地になっていますが、昔は天籟寺付近から菅原神社の下まで広い入り江になっていて、船着場があったと言われています。その船着場の正面に位置していたことから、「正津町」という町名が付けられたと言われています。(ちなみに「津」は、港、船着場という意味があります。)