御馬橋にまつわるお話
鎌倉時代のことです。戸畑の牧山ふきんはその名のとおり牧場でした。一頭の母馬と生まれたばかりの子馬がいました。母馬は、その姿といい毛並みのよさといい見事な馬でした。
「良い馬だ。」といいうわさはしだいに広がり、ある日とうとう、母馬を買いたいという人があらわれました。そして母馬は、子馬を残して洞海湾の向こう岸の若松に売られていったのです。子馬はいなくなった母馬を慕いさびしい毎日を過ごしました。
そして、母馬に会いたさのあまり、毎日、牧場を抜け出しては海辺までやってきました。そうして、母馬のいる向こう岸の若松をながめながら悲しそうな声をあげてなき続けました。
村人たちは、「動物とはいえ、母と子の情は変わらないもの。」と子馬をかわいそうに思って涙を流しました。
ある冬の日のことです。子馬は向こう岸に母馬の姿を見つけました。子馬は、母馬に会いたい気持ちで胸がいっぱいになり、思わず洞海湾に飛び込み、泳いでわたろうとしました。
激しい風と波と冷たい海水がキリキリと子馬を痛めつけます。
しかし、子馬は洞海湾を渡りきり、母馬に会うことができました。
この場面を見た若松の飼い主は、親を慕う子の情に深く胸をうたれ、母馬を牧場にかえすことにしました。
母馬といっしょになった子馬は、母馬の愛情をうけてすくすくと成長しました。
子馬でありながら、冬の洞海湾を渡りきったほどの馬ですから、母馬よりももっとりっぱな名馬となったことはいうまでもありません。
やがて立派に成長したこの馬は、源氏の武士の目にとまり、鎌倉に連れていかれることになりました。母馬やなつかしい牧場との別れがつらかったのでしょう。牧場をおりて町へでる橋をなかなか渡ろうとしませんでした。
この時、その馬が泣き泣き渡った橋が「御馬橋」と名づけられたと言うことです。また、この馬は源平合戦で大いに働き、日本中に名をあげたということです。
民話と伝説マップ 「北九州むかしばなし」より抜粋
発行:財団法人北九州都市協会
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