藤波 耕司(ふじなみ こうじ)さん
意匠造形家 <株式会社 鎚絵 代表取締役>
意匠造形家 <株式会社 鎚絵 代表取締役>
素材の良さを引き出して存在感を与える」「誠実に、人のために、人に喜ばれるようにつくる」という自らの信条に則ったモノづくりを貫く。
モニュメント、案内板、装飾金物、個人の邸宅や門扉、果てはゴミ箱に至るまで、あらゆる平面・立体・空間のデザイン設計・製作施工を営業から一貫して請負う。
全国から応募のあった沖縄県のデザインコンペ(平成10年11月)を勝ち抜いて手掛けた、自身の代表作といえる沖縄平和祈念公園の「平和の丘モニュメント」を初めとして、全国レベルの評価をなされている。1951年生まれ。
和服仕立職 <金子和裁所 代表>
昭和49年、第19回全国和裁技術コンクールに出場し、第3位入賞。
生地の伸縮性がなく、絹織物のなかで最も困難と言われてる大島袖の仕立て技能に精通し、特に技術を要する衿肩廻りにおいては卓越した技能を持つ。着る人の体型に合うように仕立てることができることから、業界からその技能を認められるとともに、呉服店からの信頼も厚い。
昭和50年から和裁職業訓練指導員として活動、また平成7年からは(社)日本和裁士会北九州支部の役員を歴任し、業界の発展に貢献した。1952年生まれ。
造園師 <福山造園建設 代表>
平成17年度に現役の造園師としては市内で2番目となる福岡県知事表彰を受ける。
伝統的な日本庭園から洋風住宅の庭まで、現代日本における需要の多様化に応えるため、新しい取組み(バリアフリー化、リガーデン(庭の改造)の提案)にも積極的であり、同業者も一目置く技能を有する。
自社敷地内に実技講習場所を作り、技能五輪全国大会出場選手の専任指導を行い、出場選手が連続入賞を果たすなど、後進の育成に対する熱意と指導育成能力は他の追随を許さない。1945年生まれ。
製パン技術指導員 <ニップンビジネスサポート株式会社 技術顧問>
製粉業界大手の日本製粉(株)で、長年にわたり製粉販売のために、製パン技術の指導だけでなく、営業から商品開発まで行える唯一の技術者として日本中で活躍し、取引先であるトップメーカーから町のベーカリーまで絶大な信頼を得ている。
また、平成4年には「粗挽きトースト」の開発で特許認可され、ヒット商品(あらびきトースト)を生み出した。
平成7年から中村調理製菓専門学校の非常勤講師として活動、福岡県職業能力協会主催のパン製造作業検定委員を9年間務めるなど、後進の教育・指導に力を注ぐ。1938年生まれ。
和菓子製造工 <株式会社 鶴屋 代表取締役>
北九州市を代表する銘菓「八幡饅頭」を製造している老舗「鶴屋」を経営。
昭和30~40年の需要拡大期には、国内菓子メーカーでは真っ先に機械化生産に取組み、量産化に成功した。単に伝統の味を守るだけではなく、味の追求のための努力を惜しまない姿勢などを評価され、平成7年に、福岡県知事から優秀技能者表彰を受けたほか、平成18年度の現代の名工にも選ばれた。
また、製菓衛生師試験の試験委員、一級技能士の検定委員を務めるなど業界の発展、後進の育成についての功績がある。1936年生まれ。
着付師 <合資会社 パリー院 代表>
パリへ美容留学の研修生に選ばれるなど、美容に関する一切の業務を得意とする。
なかでも、着付けにおいては、山科流・高倉流両方の免状を日本で唯一所有する宮島健吉(着装道古典宮島流)に約12年間師事し、国立劇場に出演など市内で数少ない正師範の免状を持つ。着付けにおいて一番入賞が難しいといわれる『千葉益子コンクール』(昭和58年)において、初出場で蘭花賞三席(8/270)に入賞を果たした。
同年より、パリー院以外で働く美容師や一般も分け隔てなく参加できる着付けの勉強会を約20年間行うなど後進への指導・育成に力を注ぐ。1940年生まれ。
調理師(日本料理) <株式会社 千草 和食調理部料理長>
多数の割烹・ホテル・料亭で腕を磨き、37歳という若さで北九州市の誇る名料亭「千草」の料理長に就任。平成6年に、市内で屈指の格式を誇る「千草ホテル」の料理長に移籍し、現在に至る。
自然の食材へのこだわりとその持ち味を最大限に引き出すシンプルな調理を信条とし、その信条のもとに作り出される料理は、奥深い味、彩り、形など食にこだわりを持つ多くの人たちから厚い信頼を得ており、皇室の御用も務めたほどである。
また、福岡県の要請に応えて多くの地域で料理講習会の講師を務め、九州栄養福祉大学の非常勤講師としても活躍。1947年生まれ。
※ 以上の紹介文は、認定当時のものです。
産業経済局地域経済振興部雇用・産業人材政策課
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