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島の文化財

更新日 : 2022年7月15日
ページ番号:000003186

藍島遠見番所旗柱台

昭和44年5月1日県指定

 藩政時代の宝永2年(1705年)から享保8年(1723年)にかけ、密貿易船がさかんに響灘に出没した。幕府は密貿易船の追払いを長州、小倉、福岡の三藩に命じた。
 小倉藩は、門司の葛葉と馬島及び藍島に遠見番所を建て、警備にあたった。旗柱台は、享保6年(1721年)4月建立で、密貿易船を発見すると、三段菱の旗を揚げ、中原の境鼻見張所に急報したと記されている。

白洲灯台

 藍島西方約2.5kmのところに無人の灯台、白洲灯台がある。この灯台は小倉領、海上御用掛であった、岩松助左衛門が白洲付近の岩礁で難破船の多いのをみかねて、自力で灯台建設を始めた。しかし、岩松氏は明治5年、灯台の完成を待たずに病死している。この灯台は彼の志を継ぐものの手で、明治6年完成した。
 岩松氏の功労をたたえ、小倉城内には顕彰櫓が建っている。これは彼が設計した灯台を模したものである。

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産業経済局総務政策部渡船事業所
〒804-0075 北九州市戸畑区北鳥旗町11番1号
電話:093-861-0961 FAX:093-861-0962

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