昭和29年までは、小倉舟町76番地先の架設桟橋で発着していたが、旧小倉法務局がこの場所に100メートル物揚場建設工事を開始、やむなく魚市場前方岸壁から発着することとなった。
この岸壁は干満の差が2.5mと激しく、乗降には不便と危険が伴うため、桟橋を新設することになった。
場所は紫川河口(浅野二丁目3-47)で、待合所は市費(一部関門海峡汽船の寄附)で建設。
桟橋は関門海峡汽船が砂津で営業していたものを移設し、昭和30年8月から供用を開始した。
この桟橋は木造で老朽化も進んでおり、浸水もひどいので昭和42年7月に撤去し、めかりに設置していた鉄筋コンクリート製のものと取り替えた。なお、この桟橋も昭和46年10月に若松で使用されていた桟橋と取替えられている。
昭和47年8月には藍島に旅客待合所、昭和51年12月には、日明の中央卸売市場入口右岸にこくら丸専用の物揚施設を設置、朝の1便が寄港している。
その後、小倉の桟橋設置箇所については、紫川尻左岸角にあったため、紫川上流からの土砂の蓄積があり、水深の維持に多額の経費がかかること、近い将来、この場所に高速道路が建設されることが決まったため、改築移転することが決定された。
昭和53年11月に小倉北区の颯田建設株式会社に発注、昭和54年4月に小倉北区浅野3丁目7-50(西日本総合展示場北側)に完成した。九州郵船の対馬航路フェリーに隣接し、公園等もある北九州市の北の玄関口にふさわしいスマートな建物であった。なお、この建物には対馬(小倉から比田勝)航路の事務所も併設されていた。
平成に入り、こくら丸の着岸場所は北九州市の港湾局が実施する砂津埋立事業に伴い、平成10年にこの場所より199号線沿いの関西汽船(小倉から松山)航路が使用していた岸壁に隣接する位置に移転することとなる。
しかし、この年の秋、折からの強風と波浪により、これまで使用していた桟橋は沈没することとなる。気象・海洋条件に加え、桟橋の老朽化もあり、この桟橋の使用を断念し、新規の桟橋の建造にはいる。
新規の桟橋は国土総合建設株式会社に発注され、4本の係留抗で固定された、プレストレストコンクリート製で、高齢者や障害者でも利用しやすい、バリアフリーの構造となっている。