宿場の主な役割は二つあります。
一つは大名の休泊で、もう一つは街道を通過する人に人足や馬を供給し物資を輸送することです。そのために、代官所・問屋場・郡家などの公用の宿場施設が設けられました。
長崎街道用語集
宿場(しゅくば)
御茶屋【本陣】(おちゃや)
一般には、宿場における貴人の宿泊・休憩所ですが、福岡藩での御茶屋は藩が建てて運営をした藩主の別邸でした。それを他大名などの宿泊施設としても利用していました。町茶屋の主人が御茶屋守を務め、御茶屋に休泊する大名や長崎奉行などの世話もしていました。
庶民の宿泊は許されず、旅籠などとは違って門を持つ建築様式などが特徴です。
町茶屋【脇本陣】(まちちゃや)
御茶屋の予備的宿舎の大旅籠です。御茶屋に支障が生じたとき、その代わりを果たすために置かれ、副本陣の性質も持っていました。大名が御茶屋に宿泊し、上級家臣が町茶屋に分宿したりしました。
郡家(ぐんや)
郡内の村役人と藩の役人の集会所で、大名などの通行に係る人馬の割当て、年貢の調整、普請の打ち合わせなどを相談しました。
代官所(だいかんしょ)
代官・下代が常勤し、年貢の取り立てと国継ぎを行っていました。
人馬継所【問屋場】(じんばつぎしょ)
輸送を担当する施設(事務所兼集会所のようなもの)で、人足や馬が常時いました。また、飛脚が運ぶ荷物も取り扱っていました。
構口(かまえぐち)
構口は宿駅とも書き、いわゆる宿場の出入口のことです。道路と直角に石垣を組み、その上に白壁の練塀を築いたものでした。構口は宿場の東西にあり、方位にかかわらず、上り方面を東、下り方面を西としました。
一里塚(いちりづか)
江戸時代、主要街道では、ほぼ一里(約4キロメートル)毎に塚が設けられていたため、こう呼ばれました。塚は、街道の両側に土を小高く盛り上げ、松や榎が植えられました。旅人は、この塚を距離の目安にしました。
五街道の一里塚は江戸日本橋を起点にしていましたが、長崎街道の一里塚は豊前大里に始まります。
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