小倉北区妙見1番30号圓通寺境内
「三山の高嶺つたひや紅葉狩」(昭和54年1月建立)
「無憂華の樹かげはいつこ仏生会」(平成元年1月建立)
小倉北区堺町1丁目7番堺町公園内
「花衣ぬぐや纏はるひもいろいろ」(昭和59年11月建立)
明治23年鹿児島生まれ。東京女子高等師範学校附属お茶の水高等女学校卒業後、明治42年旧制小倉中学(現小倉高校)の美術教師・杉田宇内の妻として移り住む。
大正5年より兄の手ほどきで句作を始め、大正7年には「ホトトギス」の雑詠欄に入選する天性の才能を発揮した。
昭和7年「ホトトギス」同人となるも、後に除名された。 昭和21年大宰府にて逝去。
小倉北区妙見1番30号圓通寺境内
「三山の高嶺つたひや紅葉狩」(昭和54年1月建立)
「無憂華の樹かげはいつこ仏生会」(平成元年1月建立)
小倉北区堺町1丁目7番堺町公園内
「花衣ぬぐや纏はるひもいろいろ」(昭和59年11月建立)
明治32年東京生まれ。大正6年橋本豊次郎と結婚、大正9年櫓山荘を新築し小倉に移り住む。
杉田久女に俳句の手ほどきを受け、「ホトトギス」に投句。昭和4年には大阪に移り高浜虚子、山口誓子へと師事し、「馬酔木」同人となる。昭和23年より「天狼」に同人として参加。昭和25年「七曜」主宰となる。
昭和38年大阪にて逝去。
小倉・中原の櫓山(やぐらやま)という小さな丘に、かつて「櫓山荘」と呼ばれた洋風3階立ての建物がありました。
多佳子は櫓山荘で杉田久女と出会い、俳句にひかれ、久女の指導を受けて俳句を始めました。
大胆かつ華麗な多佳子の俳句は、小倉の文化サロン・櫓山荘が原点となったのです。
現在建物はありませんが、平成18年4月に櫓山荘公園として整備され、一般に開放されています。また、平成15年10月に櫓山荘と二人の女性俳人を記念して、句碑が建てられました。
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