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第20回 櫓山荘子ども俳句大会の作品を募集!

更新日 : 2024年12月18日
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以下の「第20回 櫓山荘子ども俳句大会」の作品募集は終了いたしました。

たくさんのご応募をいただき、ありがとうございました。

作品募集

小・中学校を通じて俳句作品を募集します。

昨年は、北九州市内および近郊の小・中学校の皆様から5,180句のご応募いただき、ありがとうございました。

今年も福岡ひびき信用金庫が主催する「ひびしん俳句大賞」と共同して募集を行います。

詳細については、添付資料をご覧ください。

なお、個人でのご応募は受け付けておりませんので、その旨ご了承ください。

アンケート

俳句ご応募後には、添付のアンケート(外部リンク)へのご協力をお願いいたします。

(アンケート回答受付期間:9月4日(水曜日)から9月30日(月曜日)まで)

櫓山荘子ども俳句大会について

 近代女性俳句の源流と評価される杉田久女、橋本多佳子ゆかりの「櫓山荘」は、大正から昭和初期にかけて、北九州の文化サロンとして多くの文化人に親しまれました。

 この「櫓山荘」跡を整備した「櫓山荘公園」を本市の文化振興の拠点として、杉田久女、橋本多佳子の功績と、地域の歴史文化を子どもたちに伝えるとともに、その情操や表現力を高めることを目的に、毎年、子ども俳句大会を開催しています。

 櫓山荘は、大正9(1920)年に小倉に移り住んだ実業家、橋本豊次郎が建築した洋風の建物でした。大正11年、当時の俳句界の中心人物であった高濱虚子を招いて、櫓山荘で俳句の会が開かれました。会には小倉の俳人、杉田久女も出席しており、そこで豊次郎の妻、橋本多佳子は俳句のすばらしさを知ることになります。後に、この二人は、俳句の世界において大きな功績を残し、近代女性俳句の源流と評価されています。

 櫓山荘はなくなりましたが、櫓山荘で出会い、俳句の世界に大きな足跡を残した杉田久女と橋本多佳子を記念して、「櫓山荘跡」の碑が平成15年秋に建設されました。櫓山荘やそこにまつわる文化や歴史を知ってほしいとの想いから、平成17年から始めたのが、櫓山荘子ども俳句大会です。

櫓山荘について

 かつて小倉藩の見張り番所櫓があったという櫓山(やぐらやま)に、大正9(1920)年、大阪の実業家 橋本豊次郎が自ら設計し、洋風の瀟洒(しょうしゃ)な3階建て、延べ約100坪の住宅を建て「櫓山荘」と名付けました。広い敷地には回遊式庭園や野外ステージもあり、眼下には白砂の美しい海岸が広がる絶景の地でした。

 豊次郎は広い知識をもった文化人で、児童芸術運動などの様々な文化運動を援助し、また、北九州を訪れた文化人たちを歓待したことから、「櫓山荘」は大正から昭和初期にかけて、文化人のサロンとして親しまれました。

 豊次郎の妻は、のちに戦後の女性俳人の第一人者といわれる橋本多佳子で、大正11(1922)年、「櫓山荘」で催された句会で、多佳子は当時の俳壇の大御所、高浜虚子と門下の女性俳人杉田久女に出会い、虚子の「落椿投げて暖爐の火の上に」の一句に感銘を受け、俳句に惹かれ、久女から句作の指導を受け、「櫓山荘」で俳人としての一歩を踏み出しました。

 戦後、「櫓山荘」は取り壊されましたが、現在は公園として整備され、わずかに残る回遊式庭園と野外ステージの跡が、当時の面影を偲ばせています。

昭和初期の櫓山荘の原画
昭和初期の櫓山荘【原画 東郷啓子(橋本多佳子の三女)】

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