郷土若松には、郷土作家火野葦平筆「石と釘」により、全国にあまねく知れ渡っている、心楽しい河童の伝説があります。
昔、それはいつの頃かわからない、ずっと昔のことです。
若松の修多羅と島郷のかっぱ群は、常に縄張り争いのいざこざが絶えず、しばしば両河童群は手に手に葦の葉をひらめかして、高塔の空高く舞い上がり、ひょうひょうと飛び交い、打ち合いの戦いを繰り広げ、撃ち落とされては田畑に青みどろに流れ淀んで、農作物の被害はおびただしく、百姓の嘆きは大きいものでした。
これを聞き及んだ山伏堂丸総学は、この農民の難を救わんと、高塔山頂の地蔵堂に篭り、河童封じの祈祷をはじめました。これに驚いた河童群は、和を結び力を合わせて祈祷の妨害、誘惑に力を尽くしましたが、総学はこの苦難に耐え、やがて一念は成就して、豆腐のようにやわらかくなった地蔵の背に鉄の釘を打ち込み、河童を封じこめましたが、山伏もまた力尽きて倒れました。願いは叶って郷土若松に再び平和がよみがえったということです。
それから永く続いた平和も、時移り、世は代わって、大きな戦の混乱を経て、いつしか人心も荒れ、道義は地におち、名利欲にからむ、いまわしい出来事や暗い世相が続出してきました。
それを憂いた郷土の先覚有志は考えました。
“河童は洒脱ですっ呆け、名利には淡々として飄々狐、いたずらするけれど愛嬌あって憎めず、変幻自在のようで間が抜け笑いを振りまく、この河童の性(さが)と徳を広めることこそ、この荒んだ世相に明るさを呼び戻すにもっともふさわしい”と。
そこで河童と親交のある火野葦平氏の仲介のもとに河童族のお出ましを願い、高塔山頂で世にも珍妙な“河童まつり”をはじめることになりました。
この河童まつりに協賛して、夏の夜空を彩って延々高塔山腹を縫って登る数千のたいまつ行列で、郷土の老若善男善女の持つものは、河童の徳をたたえる聖火であり、悪行を燃え尽きさねばおかぬ、焔の河、たいまつの長蛇の列が続きます。
“河童まつり”と、それに協賛する“たいまつ行列”を総称して「高塔山火まつり行事」と呼んでいます。
今や、郷土若松の“火まつり行事”は、北九州の真夏の夜の夢、詩情をたたえた心楽しい祭りとして広く知られ、親しまれています。
若松まつり行事協賛会
開催日 | 7月下旬(令和4年度は中止) |
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開設地 | 久岐の浜広場、若松南海岸通り、中川通り、若松市民会館、商店街、高塔山など |
お問合せ先 | 北九州商工会議所若松サービスセンター内若松まつり行事協賛会 事務局電話:093-761-2021 |
交通アクセス | JR若松駅から徒歩1分、市営バス「若松市民会館前」下車徒歩1分 |
(注)詳細は直接お問合せ先へお尋ねください。