ページトップ
印刷用ページ

現在位置: 上下水道局トップページ > 上下水道局について > 事業概要 > 基本計画・事業年報など > これまでのあゆみ(下水道事業)

ページ本文

これまでのあゆみ(下水道事業)

ページ番号:000160713

旧五市時代の下水道事業

 本市の下水道建設の歴史は、旧若松市において大正7年第1期下水道事業認可を得て着手したのが最初です。近代下水道としての下水処理を前提とした下水道整備は、昭和26年旧八幡市の黒崎駅前一帯の第2期下水道事業の認可からです。その後、昭和32年第3期下水道事業では皇后崎下水処理場(現在の皇后崎浄化センター)が簡易処理として認可を受けました。

旧門司市の下水道事業

 明治32年、北九州では一番先に市に昇格し、戦前は外国航路の大型船舶の寄港地として繁栄した門司市ではありましたが、五市合併当時、認可の申請手続はしていたものの、公共下水道は整備されていませんでした。認可(排水面積147.5ヘクタール)が下りたのが昭和38年2月のちょうど五市合併による北九州市発足直前であったため、門司市としての公共下水道の実現はならず、事業計画はそのまま新市に引き継がれました。

旧若松市の下水道事業

 若松は大正3年、市に昇格しました。4年後の大正7年7月、第1期下水道事業の認可を受け、直ちに着工しました。これは、明治33年公布の下水道法に基づき国の認可を得て着工したものとしては、全国で11番目、九州では第1号でした。ただし、下水道法公布以前に横浜居留地、長崎、下関で建設されており、それをいれると全国で14番目、九州で2番目となります。雨水汚水合流式を採用し、未処理のまま海に放流しました。
 若松市の工事はこのあと昭和10年代まで、3期にわたり続けられました。3期間で完成した管渠は延長32,530メートル、排水面積197.5ヘクタールでした。これにより市街地面積のほぼ30%をカバーしました。
 これより先、明治町より東側、浜二番町より南側(現本町一、二丁目)に下水道を敷設しました。排水面積24.8ヘクタール、管渠延長9,345メートル、主として南海岸に放流していた、と昭和12年発行の若松市史にはあります。

旧小倉市の下水道事業

 小倉市には若干の下水溝はあったものの、下水道と呼べるほどにものはありませんでした。大正後半になって下水道敷設をもとめる世論が起こりました。君島八郎九州帝大教授に調査・設計を委嘱しました。それにより市域全域に敷設する計画を立てて認可を申請しました。しかし、財政的理由で縮小するよう指導を受け、中心部に限定して大正14年に認可されました。翌年実施設計の認可を得て8月着工、昭和11年4月2日に落成式を挙行しました。
 下水道法に基づくものとしては、九州では若松、大分に次いで3番目でした。雨水汚水合流式により未処理で海と河川に放流しました。
 第1期事業(排水面積71.2ヘクタール、管渠延長29,625メートル、総工費94万4000円)は、大正15年8月に着工し、10年かかり昭和11年4月にようやく完工しました。翌年に日中戦争が勃発し、全国の下水道新設・拡張計画は中止させられました。小倉市が第2期事業に着手したのは20年のちの昭和32年9月でした。排水面積382.3ヘクタール。三萩野・小文字地区の浸水解消のため排水路を施工しました。

旧八幡市の下水道事業

 八幡市は昭和9年に第1期下水道事業に着手しました。戦後は昭和26年に第2期、昭和32年に第3期と相次いで事業を拡大しました。第3期には、皇后崎に散水濾床法による中級処理が可能な下水処理場を建設し、五市合併直前に通水式を挙行しました。屎尿も受け入れる下水道と終末処理場は、福岡県下の都市では最初という画期的なものでした。

旧戸畑市の下水道事業

 戸畑市は昭和33年、白木正元市長のもとで下水道建設に着手しました。大手事業所が活況を呈し、市財政は北九州五市の中で最も潤沢でした。市域がせまいこともあり、着工後は短期間に進捗しました。五市合併から5年間のタッチゾーン期間中にも、管渠敷設は急速に進展しました。
 当初は雑排水と雨水を未処理のまま洞海湾に放流しました。ですが、境川河口付近に終末処理場を設置する将来計画があったため、管渠もそれに対応できるように設計していました。このため昭和45年に日明下水処理場(現在の日明浄化センター)の運転開始により、ただちに屎尿と汚水の合併処理が可能になりました。

北九州市となってからの下水道事業

下水道の本格的整備

 下水道の本格的な整備に着手したのは、旧五市が合併し北九州市として誕生した昭和38年で、同年7月には、本市で最初の下水処理場である皇后崎下水処理場が運転を開始しました。皇后崎下水処理場の処理方式は、昭和41年には新しい活性汚泥法に切り替えました。その後、北九州市になって最初に建設した日明下水処理場は、昭和43年8月に着工。同年3月末でタッチゾーンの期限が切れて4月から下水道事業は一元化され、日明から本格工事が始まりました。昭和45年4月に日明下水処理場(現在の日明浄化センター)が、昭和47年4月には新町及び北湊の両下水処理場(現在の新町及び北湊浄化センター)が相次いで運転を開始。昭和49年7月には事業に着手して6年で早くも公共下水道管渠総延長1,000キロメートルを達成。昭和52年3月には下水道普及率50%を達成。市内の下水道は急速に延びていきました。

下水道の普及と水環境の改善

 昭和54年10月には曽根下水処理場(現在の曽根浄化センター)が運転を開始しました。これにより5か所の処理場で活性汚泥法により市内全域をカバーする体制ができあがりました。本格工事開始から13年となる昭和57年1月には公共下水道管渠総延長2,000キロメートルを達成。昭和59年3月には下水道普及率75%を達成。昭和61年3月には下水道普及率80%を達成。公共下水道管渠総延長は、さらに500キロメートル増え、同年11月には2,500キロメートルを達成。平成元年6月には公共下水道管渠総延長3,000キロメートルを達成し、急ピッチで事業を進めてきました。
 平成3年3月には下水道普及率90%を達成。平成4年4月には特定環境保全公共下水道を新規採択し、市街化調整区域への整備を開始しました。
 整備の進歩とともに、かつて「死の海」と呼ばれた洞海湾や、「ドブ川」と化していた紫川の水質は著しく改善し、官民一体となった水環境再生の取り組みは、海外からも大きな評価を受けることになりました。平成6年9月には下水道の整備等で紫川の水質改善を図った本市の取り組みが評価され、第三回建設大臣賞(生き生き下水道賞)を受賞しました。

下水道(汚水)の概成

 平成8年3月には下水道普及率95%を達成。平成9年4月には撥川流域合流式下水道改善(分流化)事業開始。同年5月には下水汚泥のセメント原料化(有効利用)事業開始。平成10年3月には公共下水道管渠総延長3,500キロメートルを達成。同年10月には神嶽ポンプ場雨水滞水池完成。本格工事開始から35年となる平成17年3月には「合流式下水道緊急改善計画」を策定するとともに公共下水道管渠総延長4,000キロメートルを達成しました。その後、平成18年3月には、下水道普及率が99.8%に達し、汚水の整備は概成し、同年6月には雨水滞水池を併設した戸畑ポンプ場が完成しました。平成24年3月には、藤田ポンプ場に新しい雨水ポンプ場と雨水滞水池が完成しました。
 北九州市誕生後、市民を始め多くの方々の理解と協力を得ながら建設事業費で7,000億円を超える投資を行い、計5か所の浄化センターと34か所のポンプ場、4,500キロメートルを超える管渠などを整備してきました。

このページの作成者

上下水道局総務経営部経営企画課
〒803-8510 北九州市小倉北区大手町1番1号
電話:093-582-3135 FAX:093-582-3100

メールを送信(メールフォーム)

このページについてご意見をお聞かせください

お探しの情報は見つかりましたか?  

【ご注意】

  • 業務に関するお問い合わせなど、お答えが必要な場合は直接担当部署へお願いします。
    上の「メールを送信(メールフォーム)」からお問い合わせください。
    (こちらではお受けできません)
  • 住所・電話番号など個人情報を含む内容は記入しないでください。

  • 上下水道
    お客さまセンター

    093-582-3031

    (月曜から土曜日 8時30分から19時)
    水道利用開始・中止や名義変更、各種ご案内

     
  • 各種連絡先の
    ご案内

    水まわりのトラブルなど、各施設へのお問い合わせ

     
  • よくあるご質問

    お客さまから寄せられる代表的なご質問を集めました