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【発表案件】
・若戸大橋・若戸トンネルの無料化スタートについて
・大規模会議の誘致件数について
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平成30年(2018年)11月28日市長記者会見
【発表案件】
・若戸大橋・若戸トンネルの無料化スタートについて
・大規模会議の誘致件数について

更新日 : 2023年11月28日
ページ番号:000147830

会見の動画(YouTube)

市長
それでは、最初に2点、ご報告をさせていただき、ご質問を承ります。
最初に、若戸大橋・若戸トンネルの無料化を12月1日に迎えることであります。無料化による効果について、また無料化を記念して開催する式典、イベントの内容についてお知らせを致します。無料化の実施は、まず物流コストの軽減を図ることです。人や物の流れを円滑にして、本市への企業進出などの産業活動活性化やまちのにぎわい創出など、大きな経済効果が見込まれます。具体的には、道路利用の面において、これまで有料道路ということで利用を避けていた車両が通行することで、国道3号の主要な渋滞個所の緩和に繋がります。このように、市内の交通円滑化が図られるわけであります。産業経済の面についてです。本市産業の活性化が見込まれ、中でも本市最大規模の産業集積拠点である、響灘地区における風力発電関連産業の「総合拠点化」の形成、これに向けて、取り組みにも追い風となります。また、まちづくりの面ですが、若松区と戸畑区との交流が活発化し、中心市街地の商店街などへの集客の増加など、まちの活性化につながることを期待します。マンション建設が計画されるなど、既にまちの活性化に向けた動きも始まっております。
次に、無料化の記念式典についてお知らせをします。12月1日、土曜日、11時から、若松区役所向かいの若松市民会館におきまして、地元選出の国会議員、県会議員、市議会議員をはじめ、若松・戸畑区の自治会長など、約100名を招待し、盛大に開催を致します。式典では、二島中学校の合唱部による合唱や、五平太ばやしの演奏なども予定しております。続いて、無料化を記念したイベントの開催についてであります。イベントは、若松区、戸畑区を結ぶ若戸大橋・若戸トンネルにちなみ、若松側、戸畑側の2つのメイン会場を中心に実施をいたします。若松側のメイン会場であります、久岐の浜広場におきましては、若松、戸畑の飲食店が大集合する「若戸マルシェ」、また、ご当地アイドルが出演するステージイベント、若戸大橋にちなんだクイズ大会、ダンボールで若戸大橋をつくる工作など、来場者参加型のイベントを実施する予定であります。戸畑側のメイン会場です。大橋公園、戸畑親水緑地におきまして、スケート体験、ミニボウリング等が楽しめるキッズコーナーや、キッチンカーによる飲食販売、戸畑祇園大山笠によるお囃子披露や、戸畑区出身の歌手によるライブなど、ステージイベントなどを行います。その他、地域の魅力発信につながるPRコーナーを設置するほか、メイン会場以外でも地元の方々の協力をいただいて、さまざまなイベントが行われます。さらに、当日の16時50分からは、戸畑側で夜型観光の魅力向上を目的に、若戸大橋ライトアップの点灯式を開催いたします。本市は、札幌市、長崎市とともに、「日本新三大夜景都市」に選ばれたばかりであります。この若戸大橋のライトアップによって、さらなる魅力向上につながると、大いに期待をしております。若松南海岸でも18時頃、イルミネーションの点灯と乾杯イベントが行われます。当日は若松、戸畑、両地の会場をお楽しみいただくため、イベント開催時間帯の10時から21時まで、若戸渡船を無料で利用できます。将来にわたって記憶に残る、地域を挙げた盛大なイベントとなるよう、多くの皆さまにご参加をいただきたいと思います。
もう1つの報告は、MICEの成果であります。国際会議などMICEの開催は、一般の観光より消費する額が多く、地域経済に与える効果が大きいと言われます。様々な交流を通じて、イノベーションやビジネス機会の創出も期待できるため、積極的にこれまで誘致を推進してまいりました。そのような中、日本政府観光(JNTO)が2017年の国際会議統計を発表しました。発表内容は配布資料のとおりであります。2017年、全国各地で開催された国際会議の開催件数をランキングで表したものです。本市では134件の開催となり、全国での順位が過去最高の8位となりました。国際会議の開催にご協力をいただいている多くの大学、研究機関等の皆さまに、この場をお借りして、心から御礼を申し上げたいと思います。増加した主な要因でありますが、地元のMICE事業者であるホテルや旅行社、市やコンベンション協会などと「北九州市グローバルMICE推進協議会」を組織しております。「チーム北九州」で一丸となって、誘致に取り組んできたということがあると思います。また2015年、観光庁から全国12都市の1つとして、「グローバルMICE強化都市」に選定され、海外専門家によるコンサルティングなどの支援を受け、積極的な誘致への取り組みの結果が実を結んだものと考えております。さらに2016年、国内外から高い注目を集めた「G7北九州エネルギー大臣会合」、また「ワンヘルスに関する国際会議」、これを成功裏に開催できたことも、誘致に向けて大きな自信となっております。近隣の都市では、熊本市が2019年、福岡市が2020年、長崎市が2021年に、新たな施設の建設を計画しているようであります。より一層、都市間の競争が激しくなることが見込まれます。今後も、本市のさまざまな資源を有効に活用して、特別な場所でのイベントで非日常感を体験してもらうユニークベニューや、アフターコンベンションなど、北九州らしいおもてなしで、皆さまをお迎えしたいと考えております。
それでは、ご質問を承ります。

記者
幹事社からは、発表・報告案件については2点お聞きします。
まず、若戸大橋・若戸トンネルの無料化についてですが、無料化をしたあとに収受員の方の再雇用というか、そういう雇用面はどういうふうにお考えなのでしょうか。

市長
そういうことも含めて円滑に移行できるように、方針を公表してから相当の時間を確保しておりますので、対応していると思います。詳しい数、データについては担当者からでよろしいでしょうか。

担当者
料金の収受員さんは、若戸大橋・若戸トンネルで約65名位、今いらっしゃいます。再雇用については、シルバー人材センター、福岡県の雇用センターというところに今、相談をさせていただいているところであります。それと同じような料金、収受業務を行っている福岡北九州高速道路公社の民間会社がありますが、その2社にも、12月1日以降、雇用できないかということをお願いしているところでございます。

記者
もう1点、若戸大橋関連でお聞きします。料金を集める、徴収するボックスなのですけども、これの撤去等の、そのハード面の撤去というのは、どのようにスケジュールをしていく予定なのでしょうか。

市長
相当程度の工事予算を伴うということもありまして、当面、いつからというふうに決めてはおりませんが、これからの課題だと認識しております。

担当者
ブースの撤去工事は、10月に契約を工事業者と結んで、3月末までには全て撤去を終わりたいと考えております。12月1日時点では、若戸大橋の下り線のブース、外側のブースを1基、2基ぐらい撤去して通行させ、その他の部分はしばらくの間、ブースは残ったままの通行となりますが、交通の安全面に対しては十分注意するようにしているところでございます。それと先ほど、若戸大橋無料化式典は、若松区役所隣の若松市民公園で行うこととしております。

記者
発表・報告案件については、幹事社からは以上です。他に質問ある社はどうぞ。

記者
若戸大橋の無料化についてお伺いしたいのですけども、その徴収ボックスについて昨日も道路公社のほうに確認をしたのですが、「撤去は時間がかかりますよ」と。その一方で、料金の看板とかあるのですけど、それについては「何もフードを被せずに、そのままにしておきますよ」ということで言われたのですけども、そうすると、県外からも利用者がいると思うのですけど、無料化になったとしてもまだ掲示板があったりすると、「ここは本当に無料化なのか、払わなくちゃいけないのか」と思って、速度を緩めてしまって、そこに普通の方が追突するということも想定されると思うのですけども、あると思うのですけど、そういう面について、何らかの安全対策っていうのは取られないのでしょうか。何か道路公社のほうは、「特に何も」という話をしていたのですけども、でもそれはいかがなものかなと思うのですけども、市の直接の関係でないということですが。

市長
その状況を自分も聞きましてですね、しっかりとした大きな看板でなくともですね、通行車両、市民にはですね、「これは無料です」ということで、「そのままお通りください」ということが目に付くように、しっかり表示するよう指示しております。

記者
それは無料化に併せて、まさに12月1日の0時00分からその状態になるようになるということでよろしいのですか。

市長
それを前提に、自分としては指示したつもりでございます。

記者
ありがとうございます。あと、MICEについてお伺いしたいのですけども、今回、10位から8位に上がったということなのですけど、一方で、これは2017年ということで2018年、もう終わりますけど、今年はどんな感じに、今なっているのでしょうかというのと、2017年で言いますと、7位が大阪市で、そろそろ上位も見えてきているのではないかという感じなのですけど、今後どういうふうにされていくかというのを改めてお伺いしたいのですが。

市長
今年度の状況については。

担当者
今年度(正しくは2018年)はですね、これ(歴)年でいくのですけれども、これはJNTOに申請をさせていただいて、それを認めるか認めないかというのもあるものですから、今年の状況っていうのはまだ詳しくは申し上げられません。

記者
MICEの件で、ちょっと他の都市の状況を見ますと、特にその福岡市の2016年の数を見ますと、383が2位ですけれども、今年は少し減り気味で、ちょっと落ちているのかなというふうに見えるのですけれど、ちょっと北九州市、福岡市の部分がいろいろ、ホテルとか例えばタイトになったりとか、だいぶタイトになったり、その部分を北九州のほうに来ているとか、そういうような傾向はあるのでしょうか。

市長
福岡市に直接、私から詳しく聞いているわけではありませんが、このMICEというのはどこでも、大学の教授のネットワークで国際会議を招くということが多いのだそうであります。福岡の場合、九州大学が移転をしたという状況のあとでもありますので、そういうことも1つ、原因もあるのかなと、こう思います。僕の認識が違っていれば、ちょっと補足をして下さい。

担当者
市長の申し上げたとおりでございます。

記者
結局、これだけ件数があったわけですけども、経済効果としてどんなものがあるのですか。

市長
これによる経済効果は、まだ報告を自分は受けてないのですが、原課のほうで何か作業をしていたら。

担当者
これ私どもが(正しくはJNTO)統計を取っているのと、私どもは年度で取っているので、出来によってはちょっと、若干違うのでございますけども、例えば平成29年度におきましては、我々が、その(MICE開催)助成金を出して誘致した分だけに限って申し上げますと、25億の経済効果があっております。

記者
若戸大橋のトンネルの無料化は、市長の公約に入っているようなものになるのでしょうか。

市長
1期目、12年前の、当時「マニフェスト」と呼んでいたと思いますが、その中に入れるつもりで最終調整をブレーンの方とした時に、「やはりこれは、実現するのは至難のことである」と、「大変難しい事情があると思う」ということで、慎重論というのが結構出たのですね。しかし、これは、若松区民はもとよりですけれども、多くの方が長い間、懸案に挙げていたことであり、自分自身もこれは無料化をすべきだと思っておりましたので、マニフェストの具体的な40ぐらいの項目の中には入れませんでしたが、政策大綱でしたか、別の形でですね、「無料化を検討する」という表現で加えました。それから、12年前から折に触れ、この実現に向けて汗をかいてきたわけであります。

記者
これは公約として掲げたと言っても、そういう意味では間違いないわけですね、政策大綱に書いていますから。

市長
「無料化の検討」ということは挙げておりますので。

記者
検討ということですね。あと、その市長としての、その無料化後の期待をもう1つ、一言欲しいのですけれども、無料化後の期待、どんなことを期待されているか。

市長
そうですね、やっぱり市民の中にもですね、この12年間、いろんな機会にですね、北九州市から見ると、その陸の孤島みたいに見えないだろうかと。やはりこの有料の、この交通網というものが市一体となった。やっぱり「市民意識の醸成に、障害になっていないか」と、「そんなふうに思わないのか」という、そういう趣旨の意見はたくさん頂きました。「島国みたいに見てはいないか」というふうに表現する人もいました。そういった意味では、市の発展のためには、若松もみんなもですね、一体になって盛り上げていくことが大事ですので、そうした、一体となったこの市民意識の醸成には大変よかったと思います。それとですね、やはり過去、無料化を検討した時に、生活道路かどうかという議論でありますけれども、その当時と比べてですね、維持管理なんかをみんなで負担をするということも考えられましたので、その根拠として若松のエコタウン、あるいは洋上風力という市民全体、市全体の新たな経済活性化を牽引する可能性が高まっているということで、これはもう市民全体にとって大きなメリットがあるのだという根拠を確認できましたので、そのように付け加えて達成をしてきたということです。実際、洋上風力、またエコタウンにも新しい企業が進出していますし、これからも期待されておりますので、市全体の活性化に大いに貢献するものと期待しています。

記者
そういう意味では、若松への新しい企業のその誘致にも、いろいろ貢献できるというふうな期待をされていると。

市長
そうです、それと私が特に期待している1つはですね、やっぱり「新三大夜景」に選ばれたと、あの「100万ドルの夜景」の神戸市より上に行ったというのは、これは素晴らしいことだと思うのですね。ですから、北九州の観光なり、いろんなお客さまを招く時に、夜景をさらに大事にしていくという戦略は改めて今、重要だと感じています。このライトアップすることによって、北九州市の夜景の中に特別大きな、象徴のような、素晴らしい建物として、夜は変身すると思います。これも観光サービスにとって、非常に大きい効果があると思っています。

記者
改めてなのですけども、MICEについて、MICEを推進することによって、北九州にどれだけの、どういう利点があるか、そして、今後どういうふうにしていくかというのを、もう少しお伺いしたいのですが。

市長
先ほど申しましたように、何日か滞在をしてですね、夜も泊まられる。そういう、そのアフターコンベンションのいろんなことも考えますと、消費していただくことは、非常に大きいと思います。北九州は、たくさんの訪問客はあるのですが、通過型のお客さんが大変多かったわけでありまして、この12年間、いかにして宿泊型のお客さんを増やすかということを大きな目標に考えてきたわけなのですが、そういった意味では、大変ありがたい訪問のビジターであると思います。この直接的な、この経済効果というのは大きいと思います。それと同時に、やっぱり北九州は、過去のいろんな報道等によりましてですね、やはり治安面において不安を持たれていることがあったと思います。企業が投資をする、あるいは誘致を考える時、あるいは旅行会社が観光のプログラムを組む時に、それは絶対的に障害要因となります。そうした意味では、これまで一生懸命頑張って、治安というのは劇的に回復してきていると思います。そういった意味で、いろんなルートを通じてPRはしているのですが、この国際会議などで来られるお客さまはですね、それはおひとりおひとりが相当に発信力のある方だと思います。「北九州は非常によかった」というふうに、滞在の良い印象を語っていただくということは、そういった意味でもですね、市のPRに相当貢献していただいているように感じています。

記者
先程の若戸大橋のライトアップ等の、今後のその管理費用の件でお尋ねしたいのですけど、ライトアップすればお金もかかるでしょうし、これまで料金を取っているところの収入がなくなるのですけど、今後のその維持管理費についてはどのようにお考えなのでしょうか。

市長
ライトアップの費用ですか、十分対応していける金額なのでありますが、小倉城とか、いろんなところでやっておりますので、ちょっと具体的な数字は、ちょっと出るかな。

担当者
ライトアップの電気代についてのお尋ねでしょうか。

記者
全体的な。

担当者
全体ですか。全体であれば、以前から日常的な維持管理に約1億円、長期的なトンネルや橋の維持管理に4億円というふうに言ってきております。それは、一般財源で当初を賄いたいと今考えております。一般財源の道路維持予算の中でということです。

記者
その他、この関連、質問ございますでしょうか。では、無いようですので、次に移らせていただきます。幹事社のほうからは、私のほうにも多くの市民の方が、このYouTubeを通じて、この会見をご覧になっていて、「事実関係を明らかにしてほしい」という声が届いておりますので、その関係から聞かせていただきます。まず弁護士に相談する必要のない、市長自身の記憶に関することからお聞きしますので、きちんとお答えいただければと思います。初めに、前回、お聞きしたことを改めて確認させて下さい。異業種交流会で同席された方は、私共の取材に対して、「うちの父親が亡くなった時に、市長がお参りに来られた」というふうにおっしゃっていますが、これは行ってないということでよろしいでしょうか。

市長
記憶に定かでないのですが、突然いろんな過去の、いつ頃のお話とか、具体的に言っていただけますと、たくさんの方のお通夜であるとか、お参りに行くことはあります。従いまして、もう少し具体的なご質問でないと、ちょっと答えが難しいですが。

記者
分かりました。もう1つ、「交流会当時、話した内容も覚えてない。気になることを言われたらどこかに記憶が残っていると思いますが、全くありません」と、これまでの会見でおっしゃっておられますが、そういうことでよろしいでしょうか。

市長
交流会というのは、この異業種の交流勉強会のことを指しているのでしょうか。

記者
はい。

市長
私が当選をしたのが平成19年でありますが、その呼びかけた人の説明によりますと、「新しい市長が誕生した」と。若い世代で、自営業であるとか、いろんな異業種で、中小企業で頑張っている人たちを中心に「いろいろと勉強をしたい」、また「市長のお話を聞けるといいな」ということで会合が持たれて、そこに招かれて、フルタイムでいた時もあるかもしれませんが、途中で失礼をしたり、そういうことで勉強会に呼ばれていたということであります。

記者
その勉強会に呼ばれていたかどうかっていうことではなくて。

市長
それで、その中身ですね。そういう勉強会っていうのは、少なからず1期目、あの激烈な選挙を終わったあとというもありまして。

記者
覚えているか、覚えていないかだけでいいと。

市長
だから説明をしているわけです、いろんなケースがありますので、それぞれのところで来られた方々の表情を見ながら、あるいはお仕事の内容なんかを推察しながらですね、話をするわけでありますが、おそらく「市長になってどんなことをやりたいか」ということを中心に話をしていて、それから、ご質問も出るでしょうから、それにお答えをするということだったと思います。

記者
先ほど「具体的に聞いて欲しい」ということでしたので、ここに2010年8月当時の新聞記事が3紙分あります。これは、この北九州市ゆかりの著名な作家の遺品3万点を、この作家の遺族が寄託したことが、この記事には書かれています。寄託者は作家の長男ですけども、この寄託者の長男が、今回の写真で市長が日時を確認したとする異業種交流会の同席者の方であります。これご本人にも聞きましたし、関係者にも聞きました、記事の中にも出てきます。この同席者の方は、私どもの取材に対し、「寄託の際に、母に付き添って行った」とおっしゃっておられました。同席者の方が、私どもの取材に「秘書室に行ったこともある」とおっしゃっておられるのはこの時のことだろうと思いますが、この際に市長室に入ったのは作家の長男夫妻と、三男と、作家の方の資料の会の会員の方の計4名のみで、この同席者の方は入っておらず、この同席者に市長がお会いしたのは、あくまで2008年6月6日の異業種交流会のみということでよろしかったでしょうか。

市長
市役所に来られたということでしょうか。

記者
はい。

市長
市役所に来られたその日時というのが、もし。

記者
2010年の8月10日です。

市長
8月10日、それは秘書室のほうでひょっとしたら記録が残っているかもしれませんが、基本的に市役所は、データの保存期間は5年ということになっておりますので、それは公式にはないのかもしれません。

記者
市長の記憶ではどうなのかという。

市長
曖昧なことを申し上げるよりも、今、突然そういうお話を持ち出されたので、自分としてできることは、ここで曖昧な記憶をもとにお話しするよりも、市役所でお会いしているということですね。だとすれば、私のブログのほうに残っているかもしれません。それは調べてみたいと思います。自分としては、正確にお答えしようとする時に、全てを記録しているわけではございませんので、ブログは自分の時間の範囲内でやっていることで、役所は関わっておりませんのでね。そういった意味で、そこをちょっと見てからということはいけませんか。

記者
記憶の限りで、お答えできる範囲で構いませんので、ブログについては私共も、見ようとしても、今年の8月以前のものについて、なぜか急にちょっと見られなかったのですけども。これは、特に公開をやめられたとか、そういう話ではないのですか。

市長
やはり支援者の方に報告をするということで始めたことでありますけれども、やはり量が大変多いし、またブログのホームページへの記載というのは、非常に最近は工夫されていてですね、ザーッと見なくてもですね、ある程度、何月頃となればそこにたどり着けるというものもあるようですが。いかんせん、これは自分の個人的なブログでありまして、そのような手法を取っていないので膨大な量になります。従いまして、昔のことはアップから外していくということを、今までもやっているところです。先ほどの「寄託」という件について申しますと、具体的にそのお名前を言われないので、これはあくまで一般論として、寄託で自分が覚えていることでありますが、市としてもそれは重要な資料。それがですね、市としても大変、文学的に大事な方で、重要な資料を寄託いただけるということは、これはもう大変にありがたいことでございますので、関係の皆さま方にお礼を申し上げるということは、もう当然のことだと思います。ただ、そこでどの方々が同席していたのかを、全てここで思い出すということは難しいということです。

記者
先ほど私がお聞きしたのは、異業種交流会でお会いした同席者の方は、2008年6月6日の1回きりしか会ってないと、これまで会見でおっしゃられているわけですけども。それでよろしいかという1点だけ聞いているのですけども、そこは記憶が曖昧になってきたということなのでしょうか。

市長
これは、弁護士さんが関係者にお会いをしてですね、お話を聞いているところでありますが。その方がおっしゃったのは、「その勉強会で会ったのは、こうであった」ということを言われていると思います。ただですね、個人のプライバシーに関わることでありますので、その点は、あまり申し上げるのはどうかと思っておりますけれども、そうした文化芸術の面でですね、遠くから私をご覧になっていることもあったかもしれません。しかし、今、記者さんがおっしゃっておるのは、その勉強会にどのように出席をしていたかということなのですね。

記者
そうではなくて、その人の記憶ではなくて、市長の記憶としてこの人に会ったのは、この1回きりかというのを聞いているのですけど。

市長
僕は、最初にあの写真を見せられた時に、どなたかというのを思い出せませんでした。

記者
じゃあ、1回きりということで。

市長
1回きりとかどうかというのは、弁護士さんにお話しされたように、「遠くから見かけている時もあったと思う」ということは言われているようでありますので、そこまで全部は、私は判断をできません。

記者
市長としては、主体的にお会いしたということはないということですか。

市長
ありませんね。

記者
分かりました。その寄託式の3週間後、2008年8月30日に、この著名な作家の長男である寄託者は肺がんで亡くなっております。亡くなった直後の8月31日の定例記者会見、この場において、市長はこのようにおっしゃっています。「心からお悔やみを申し上げたいと思います。私自身、○○さんのご自宅にお伺いしまして、作家の方の御霊にお参りさせていただいて、いろいろとこの間のご高配に心から感謝の言葉を述べたところであります。○○さんのご決断、そしてご遺族の皆さま方がご寄託をご決断いただいたことで、ご功績は誠に多大なものであると思います」と、「その大恩にもお報いしたいと思っております」と、このようにはっきりと、自宅まで伺ったということでおっしゃっておられますけども、伺ったのはこの寄託式の前ですか、後ですか。

市長
前か後かということよりも、寄託をしていただいた方がお亡くなりになって、葬儀にたぶん時間がなくて行けなかったと思います。文学関係者と一緒にお参りに行くということになりまして、ご焼香に行ったわけであります。その時には、ご親族の方が2人か3人、いらっしゃったと思います。ご生前のご功績に深く申し上げたということであります。それがいつであったかというのは、当時の記録を見れば分かることでありますが。

記者
その際は、寄託者のご長男である異業種交流会の同席者の方もいらっしゃったんじゃないですか。

市長
分かりません。

記者
お会いしているのであれば、2008年にお会いしているのであれば、そこでまた再会しているわけで、記憶にあると思うのですけども。

市長
誰々さんにその時でもお会いしているかということは、調べてみると分かるかもしれませんけれども、ご遺族の方であります。そんなたくさん、わざわざお集まりいただくとか、そういうことはお願いしていないし、だからそこでどういう方がいらっしゃったのかということは、ご遺族ということでお会いをしております。従って、そんな長くいるわけではありませんけれども、そこで話したことというのは、当時の関係者は、多少はご記憶いただいているかもしれませんが、今、記者さんの言うような、その方との具体的なお話はなかったと思います、あれば少しは記憶に残っていると思います。

記者
「大恩にお報いしたい」とまでおっしゃっている寄託者は生前、洞海湾の港湾関係の会社の社長をされていました。異業種交流会で同席されたこの方の長男の方と、私ども取材した時には、このようにおっしゃっていました。「北橋市長と以前会ったとしても、父が生前に港湾の仕事をしていて、事務所に、市長でない時に来たくらいですね」と、「新日鉄関係で」ということでおっしゃっております。先ほど聞いたような件を考えると、この話は偽りとも思えません。このご家族とは、かなり深い関係でご交流を続けておられたのではないですか。

市長
市にとって大事な資料を寄託していただいた方でございますので、市としては大変にありがたい、謝意を表する相手でございます。そうした意味で、感謝の言葉を申し上げたし、お参りにも行ったわけであります。それ以外の別件で交流をするということは、相手の方には申し訳ないけれども、なかったように思います。

記者
2008年の異業種交流会でお会いして、また会ったということは、断じてないのですか。

市長
この件はですね、突然、怪文書が全議員に送られたということから始まっております。それは7年前で、その組関係者と会食だということであります。私は最初、見た時に、これはいつのことか、何のことか分かりませんでしたが、2つの方面から、その写真に写っている方に照会をして、「これは10年前のことで、一般人であった」ということで、「これは怪文書である」という趣旨のお話をされているわけであります。それに対して、私もできる限り、その当時の状況を説明するために努力をしてまいりました。弁護士さんを通じまして、その方にもお会いしたし、また新たに、一番端に写っておられた一般人の方にもお会いして説明を聞いております。呼びかけ人にも聞いております。そういう事情で、私としましては、これが7年前の云々という、怪文書に出ていた事実とは異なるということを、すでに申し上げてきたところであります。自分としましては、昔のことではありますけれども、できる限り、記憶を頼りに、いろんな方々にも弁護士さんにお会いしていただいてですね、皆さま方にもご説明できるように努力をしてきたつもりです、その気持ちは今も変わりません。ただ、この件につきましては、やはり非常に重要な、政治的な局面の直前に、議員に対して配られているということ。そして、記者さんの署名記事の中にも、「紛糾した」とまで言っていますね。非常にこの問題を大きく取り上げている新聞があるわけであります。そういう中において、自分としましては、この来年の初めに、大きなこの審判の時を迎えるわけでございますので、「事実ではない」ということはきちんとご説明をし、そして、記者さん自身もご存じでしょう。暴力追放運動のために私自身、微力ではあるけれども、この間、一生懸命頑張ってきている、とりわけ2期目以降は大きな事件があったので、頑張ってきました、暴力団の関係者との交際などあり得るはずがありません。そういう中で、自分としましてはいろいろと、これからもできる限りのご質問にお答えしようとは思いますけれども、事が事だけにですね、やはり弁護士と相談をして、刑事告訴も念頭に準備を進めているところであります。ぜひ、その点はご賢察をいただきたいのであります。

記者
疑問点があるので、それについてお聞きしているというスタンスでございます。

市長
疑問点と言いましても、いきなり、突然ここでですね、「何年前の何月にこんなことがあったのか、どんなことを話したのか、そこにどんな人がいたのか」と聞かれてですよ、私に限らずですよ、突然言われてですね、正確に答えるというのは、これはやはりなかなか難しい場合もありますよ。

記者
ではお聞きしますが、そもそも2008年の異業種交流会でお会いしたとするならば、この同席者の方については地元で知られた名士の家系であるわけですから、当然そのことについて話が出るのが普通の話の流れだろうと思うわけですけれども、話題に上れば、東アジア文化都市開催を目指されるほど文化に造詣の深い市長であれば、その同席者の方との会話なり関係は記憶に残るだろうと思うのですが、それでも記憶にないとおっしゃられるのですか。

市長
例えば5、6人だとか、多くても10人ぐらい、2つのテーブルぐらいに座って、そこでいろいろと会話をするということは、かなり濃密な話もできるだろうと思います。その当時の勉強会っていうのは、会によって数はまちまちでありましたけれども、かなり多かったのではないかとも思うわけです。それからしますと、1箇所に留まってですね、いろいろと詳しくお話をするのも限度があります。そういった意味では、自分の市長選で訴えたことについて、ご質問なりご意見を承って、「大変申し訳ないけど次へ行く」ということを、ずっと続けたのだろうと思います。従いまして、今「そんなことを話したのではないか」と言ったら、それを打ち消す根拠もありません。「そんなことは話していない」と、そういうことはありませんけれども、その限られた時間の中で、そこにはいろんな業種の方がいらっしゃるわけでありまして、それを前提に考えますと、そこで文学の話ですか、そういうことについて詳しくお話をしたというのはですね、していれば何らかの記憶は残ると思いますけれども、残念ですけれども、やはりもう刑事告訴を念頭に置いておりますので、あんまり曖昧なことをですね、ここで申し上げるのは控えさせて欲しいのです。もし、これから、その当時について何か根拠と言いますか、より確かなものがあれば、またお話はいたしますけれども、今のところですね、「どんな話を個々の方としたのか明確に述べよ」と言われても、10年前のことでありますし、なかなか容易ではありません。

記者
では、4年前に話を移します。ここにある、企業経営者の方のブログがあります。このブログの中には、「某新聞社の集い」というタイトルで記載されていますが、ここには「○○組の若松にようこそ」という、この新聞社の大幹部の方の発声があり、「若松で知られた高級老舗料亭で盛り上がった」と書いてあります。断っておきますが、ここの「○○組」というのは暴力団の話ではなく、堅気の稼業のことですけども、この写真には乾杯の音頭を取る北橋市長、ここに写っておられますけども、載っておられたり、梅本副市長の姿も載っております。まず、この会合については記憶にございますか。

市長
何年と言われましたか。

記者
2014年2月8日です。

市長
何の会合でしょう。

記者
「ある新聞社の集い」ということにさせて下さい。

市長
ある新聞社の集い、お話を続けていただけますか、記憶をたどっていきますので。

記者
このブログには、この新聞社の大幹部の方のおじいさんが、先に寄託された遺品を残した作家さんにあたると書いてあります。ということになると、作家さんの直系の孫にあたる同席者の方と、この新聞社の大幹部の方は親族ということになります。私の得ている情報では、幼馴染であったという話もあります。市長は、こうした関係についてはご存じでしたか。

市長
あなたもプライバシーのことを配慮されて、具体的なお名前なり、その点については非常に慎重にいらっしゃると思うのだけども、突然、怪文書で送られてきてですね、写真がその中に添付されていたと。その方は、はっきりと、これは取材された方もいるかもしれないし、また私の弁護士も事情を聞いておりますし、いろんな方が当時の状況を確認して、本人もお話しになっているわけです。「一般人であった」ということです。そして、「なぜ6月だ」と、「6月頃と言えるか」というのは、「人生において、非常に節目となるような出来事があったから」、これはプライバシーがあるので、私は申し上げられません。ということで、かなり説得力を持って、当時のことを思い出して、語ってくれているわけであります、そのことは記者さんもご存じだと思います。その件についてですね、「その後どうか」ということを問われていると思うのでありますが、その文学のことについて、ご遺族の方には感謝の意を表するためにお参りに行っておりますけれども、いろんな場で、遠くから向こうがお会いしているかもしれないということは、記者さんにもおっしゃったんじゃないでしょうか。しかし、いわゆるこの少人数の会合でもって交流をする、いわゆる密接交際と思われるような、そういうものではなかったということも言われていると思いますよ。

記者
今、私が聞いているのはその方ではなくて、その方と同席者の方と、この新聞社の大幹部の方のその幼馴染であるとか、親族関係にあるとか、そういうことを市長はご存じだったのかという1点について聞いているわけですけども。

市長
何年前のことですかね。

記者
2014年2月8日だということです。

市長
2014年。

記者
はい。

市長
詳しくは知りませんでした。

記者
その2014年と言うと、市長が最前から、先の会見からおっしゃっておられる4年前に写真が出回った時期とも符合するわけですけども、どうしてそういう基本的な、大事な関係について確認されていないのでしょうか。

市長
誰でもそうだと思いますが、「いつ、どこで、誰々と会ったか」ということは、場合によっては残っている、誰か所属されている、そこに参加された方の記憶なり、そういうものが残っている場合もありますけれども、それを全て事前に把握をして、いわゆるその趣旨と言いますか、いろんなバックデータを勉強の上で参加をしているというわけではありませんので、その点はご理解をいただきたいと思います。

記者
この新聞社の集いがあったのは4年前です。市長は、「4年前に今回の写真が出回り、ある新聞社では、問題はなかった、没になったと判断したと聞いている」とおっしゃっておられますが、それがまさにこの新聞社ではないのですか。「没になった、問題はなかった」と聞いたのは、この大幹部からではないのでしょうか。

市長
それは、お祝いの席上。

記者
この時ではなく、聞いたのはこの大幹部から「没になった」と聞いたのではない。

市長
ありません。

記者
この同席者の方は。

市長
今、新聞社の何かが出ましたけれども、新聞社のことを言われましたけれども、4年前に出回った時には、これもおぼろげな記憶で話すことはいけないことかもしれませんが、複数の社に持ち込んだと、持ち込まれたものであるというふうに、自分としては聞いたような気がします。

記者
この同席者の方は、私どもの取材に「4年前、この写真の件で、この新聞社から取材を受けた」とはおっしゃっておりません。写真を見たのは、あくまで「2年前に、警察関係者から見せてもらった」とおっしゃっております。今回、市長が「2008年6月6日の異業種交流会があり、当時は暴力団員ではなかった」と主張されている。最大にして唯一の根拠であるこの方に取材せずに、どうして「問題がない」、「没になった」と言えるのでしょうか、その辺の経緯はお聞きになっているのでしょうか。

市長
私は当時、暴力追放運動の先頭に立ち、家族に脅迫状も届くような厳しい環境の中でも警察を信じて、市民・各界と一緒に一生懸命、取り組んでおりました。今、お話しになったような時も、そういう状況の中だと思います。4年前のお話の時に、それを知った私のブレーンの方々は、一笑に付しました。

記者
今回、一笑に付してないわけですけれども、4年前にどうして、そこら辺の関係性も含めて。

市長
一笑に付していないのは、来年に向かって、それぞれの会派、あるいは組織というものが、市長選でどう考えるかという重要な決定の直前に撒かれているからであります。

記者
前回も同じ時期じゃなかったですか。

市長
つまり、選挙に対して一定の影響力を行使しようという意図は、誰の目にも見えるのではないでしょうか。

記者
事実関係について、これが本当であれば、その選挙云々は関係ないと思うのですけども、まず。

市長
事実関係は、これまでもはっきり申しました。従って、まだいろんな意見があるという人もいるかもしれませんし、実際にコピーを持って回っている人もいます。その時に、市長選について、いろんなことを述べている方もいらっしゃるようです。そういうことでありますので、刑事告訴も念頭に弁護士と相談をして、進まざるを得なくなっているということは、何度も申し上げたとおりです。私は過去も現在も未来も、暴力追放運動には全力で頑張ってまいります。

記者
市長は、先々週の会見で「取材をしてみて下さい」とおっしゃられたので、私は取材をしました。その結果、種々、疑問点が浮かび上がったので、こうやってお聞きしたり、取材しようとしているわけですけども、先週の会見では「弁護士と相談中、しばし待ってほしい」というふうに態度を変えられました。これは、今回の件については、挙証責任も市長が負うという意味で受け止めてよろしいのでしょうか。

市長
挙証責任だとか、前は立証責任だとかおっしゃっておられたようですが、それは記者さんの法律論として承っておきます。私としてはですね、突然このような怪文書がいろんな方面に送られて、それをコピーして回るような人もいるようだという中においてですね、事実ではないということを証明するために、自分としてもできる限りの努力をしているわけであります。従って、あの写真で言いますと、一番左の端に座っている方は一般人の方であります。その方にも弁護士がお会いしてですね、お話を聞きました。これは、記者さんにはまだ話していないことだったかもしれませんが、直近のことであります。それはなぜかと言うと、できる限り努力をしたいと思ったからです。結論は、「7年前などあり得ない、10年前のことである」と。それは、「1つの店を開業しようと思って一生懸命、汗をかいていた頃なので、自分の行動日程と符合する」というお返事でありました。いろいろと、できる限りのことは申しますけれども、疑問点がいろいろおありだと言うのですけれども、事前に何か「こういう疑問があるというのをおっしゃってくれ」と言うつもりは全くありません。ありませんけれども、突然お話を、いろんな話題を持ち出されてですね、「さあ、記憶にあることを述べろ」、あるいは「記憶にないと言い切れ」と、そのように聞かれてもですね、時にはやはり答えにくいこともあります。ご賢察下さい。

記者
最後2点、まず1個目ですけども、市長は「被疑者不詳で、刑事告訴も検討中」とおっしゃっておられましたけども、刑事告訴を警察に受理してもらうには、それなりにしっかりとしたものでないと、ということになると思いますけども、選挙も近づいていますが、選挙までにきっちりと刑事告訴をされるということで理解してよろしいのでしょうか。

市長
すでに申し上げております、「刑事告訴も念頭に弁護士と相談をしている」と、この方針は過去も現在も変わりません。今後どうするのかは、弁護士さんと相談します。

記者
最後に1つ、最前来、市長は「暴追」を重要施策に掲げ、懸命に取り組んできたと、それは私自身も認めるところではありますが、そういう市長にとって、「暴力団員」の定義はそもそも何なのかということをお聞きしたいわけですけども、警察が離脱証明書をもって「抜けた」ということを認定した、これで暴力団でなかったとするのか、本人が「暴力団員ではない」と言えば、それがイコール「暴力団員ではない」ということになるのか、これはいずれなのでしょうか。

市長
暴力団の構成員かどうかの判定をどう考えるかということですか、それはもう、記者さんが一番ご存じだと思います。警察は、「この人が、この組織に所属しているか離脱したか」ということは、私たち市民の問いかけにはお答えしていただけないのです。

記者
警察として、認定をした状態であった場合にはどうなのでしょう。

市長
従いまして、これは「告訴する」ということになった場合に、その点について何らかの対応があるのかもしれませんが、基本的に警察は、個人のそうしたことについては、照会には答えないという方針と聞いております。ただですね、私も暴追運動を一生懸命やっておりまして、市営住宅の中に組員が何人いるかという話が突然新聞に出てですね、驚いたことがあります。というのは、私どもは「何人位いるのでしょうか」という問いに対して、それは、当時はお答えしていただけない時があったのです、新聞を見て知りました。新聞社もですね、よく「察庁担当」という言葉がありますけれども、やはりこの安全・安心というのは非常に大事な問題ですので、いろんなところに取材をされていると思います。私の家に来た家族への脅迫状というのは、秘書室と私しか知らないことです。しかし、新聞記者の中にはそれを承知されている方がいて、そのことに自分は驚きました。そういった意味ではですね、いろんな取材網を駆使されて、いろんな情報収集をされていると思います。私どもはそういうものも含めて、全体的に判断をせざるを得ない。残念ながら、警察が「こういう条件ならば、もう離脱している」ということを明確にしてくれば、それはいいのですけれども、今度の場合は果たしてどうなるかということであります。

記者
「この同席者の方の言い分を確認した」と市長はこれまでおっしゃっておられますけど、市長としては2008年6月当時以前については、この方の来歴というのは、ご本人に確認されているのでしょうか。

市長
一番右に写っている方のことを言っておられるのですか。

記者
そうです。

市長
弁護士さんに語った内容については承知しております。

記者
その上で、同席されても問題ないという認識でよろしいのでしょうか。

市長
最初に申し上げておりますが、市長に着任をした時に、市役所から見るとですね、初めての政務の会合なんかで、いろんな人に会うということについては非常に注意を払っていたと、このように察しております。そこで、私の事務所のほうもですね、折に触れ、「参加者については、どんな方がいらっしゃいますか」ということは言っていたと思います。現に呼びかけ人はですね、「苦言を呈したこともありましたね」と、「その時に当然、市の2階の民暴センターにも行ったのではありませんか」と、「そのあと特に何もなかったので、安心はしていました」と、このように説明を聞いたことがあると、この場で申し上げたとおりであります。個々の人について、その氏素性、過去の経歴、その他を全て知っているわけではありません。

記者
分かりました。幹事社からは以上です、その他、質問ございましたらどうぞ。

記者
雑誌「AERA」の特集で、北九州の特集記事が20ページにわたり載っておりまして、市長はお読みになられましたかね。

市長
パッと見まして、この記者会見が終わったら、じっくり読もうと思っております。

記者
私もかなり、ざっくり斜め読みをしたのですけども、働き方とか、それから北九州の企業とか、それから子育てとか、それから食、それから、ふるさと納税に至るまで、その北九州の魅力を、ちょっと穿った見方をすると企画記事、企画広告のような形で、かなりいろいろ載っておりましたが、そういうふうに取り上げられた所感と、それから取り上げられたその経緯と言いますか、それがちょっと分かれば教えていただきたいのですが。市はやっぱり、かなりコーディネートされていたのかどうか。

市長
これまで、北九州市に観光客を増やす、あるいは「治安がよくなって、投資環境にもいいですよ」と、いろんなことをPRすることは非常に重要だと考えまして、担当部局に対しまして、さまざまな媒体があります、その中で、広く国民に知られているようなものにチャンスがあればですね、お話をして、載せてもらうと。それは非常にいいことだということで、今までも取り組んできております。従いまして、私には、そのうまくいきそうな話、あるいは「うまくいく」というふうに内定した話については、報告はすぐあるわけでありますが、これについての経過については、よく自分は承知しておりません。しかし、一生懸命、ありとあらゆる雑誌、あるいは、いろんなところに出向いてですね、北九州の明るいこのPRをさせてもらうようなチャンスがないかどうかということは一生懸命、この数年間、努力をしております。その中に、AERAさんがあったのだと思います。それで、やはりそれぞれの雑誌によって購読層があると思いますが、いわゆるインテリ層と言うのでしょうか、そういう知識人と言いますか、そういう方もたくさん愛読者がいらっしゃるのではないかというふうに察しております。そういう中で、北九州の名を知っていただけるということは大変にありがたいと思っております。やはり反社会勢力の問題が、あれだけ数年前に全国に発信されておりますので、やはり企業がその投資をするにしても、観光のプログラムをつくるにしてもですね、やっぱりそこが一番嫌われる点だったと思うのですね。それをいかにして克服していくかが課題だと思っておりましたので、やっぱり有力な雑誌社が北九州のことを取り上げていただいたというのは大変嬉しいし、そしてまた、取り上げるとなりましたら、私どもできる限りですね、いろんな情報を提供させていただくということでこの間、来ていると思います。

記者
この市からの、こちらからの呼びかけみたいなもので実現をした。

市長
これ分かる人はいるかな。

担当者
ちょっと今、担当課がおりませんので、改めてちょっとこれについては。

市長
大変申し訳ありません、ちょっとその辺は正確に、ちょっと担当者に確認して、また答えます。

記者
分かりました。

記者
その他、質問ございますでしょうか。

記者
福岡県と福岡市の間で宿泊税をきっかけにして、森林環境税と、それから子ども医療費の助成の割合についての協議が先日から、事務方レベルでの協議が始まったようなのですけれども、当然これは政令市と県との関係になるので、北九州市も密接に関わってくると、今後関わってくると思うのですが、市長としては、これはどういう立ち位置で臨まれていたのでしょうか。

市長
このテーマはいずれも非常に重要なテーマで、本市にも深い関わりがあります。ただ、北九州市の場合、県庁、県知事との間には、定例のトップ会談をはじめとして、常日頃からですね、腹蔵なく意見交換ができるパイプを築いておりますので、皆さま方のもとで記事になるような派手々しいことはないかもしれませんが、この間、非常に大事な問題ということで、何とか改善できないかということは、常々申し上げてきております。この観光の税の新たな税については、非常に現代的なテーマでございますので、我々としても議論はしてきているのですが、まずはこの福岡県福岡市の議論の着地点と言いますか、方向性というのを今一度、注視しようという立場であります。

記者
今おっしゃったその改善というのは、北九州市としても、他の政令市との負担の割合というのは、やはり疑問があるというふうに、今の立場でも。

市長
子どもの医療費助成について言うと、4分の1に政令市はなりますが、周りは2分の1になっているわけです。「これはやはり一緒にしてほしい、同じように県民税を払っているから」ということは、ずっと前から言っております。森林税ということにつきましても、川上のほうの山林を保全することは非常に大事でありますが、北九州にもですね、放置竹林の問題とかいろいろありますので、これは結構大きな税でございますので、ぜひこの下流、政令市についても、もう少し使途を増やして欲しいということは、ずっと要望しております。

記者
SDGsについてお伺いしたいのですけれども、SDGsは「17の開発目標」というのがあって、市長は今「環境先進都市」として、この前の会見の時でも「SDGsのトップリーダーとして、今やっている」というような話がある中で、今、企画調整局がやっている中で、一方で今年の「SDGsアワード」は環境局がやっているというところがあって、何か「SDGs」と聞くと、17のいろんな目標があるのに、北九州市で言うと「環境」が何か主になっているのではないかなという感じがあるのですけども、でも一方で企業は今後、社会貢献の中でSDGsの目標を定めないといけない中で、環境ばっかりに目が行ってしまうと、企業のほうも戸惑ってしまうんじゃないかと思うのですけども、今後どういうふうに、環境以外でもさらに進めていくかというのをお伺いしたいのですが。

市長
今年の春から、SDGs(の特別)アワードをもらったこともありまして、300ぐらいの、大中小の会合に行って祝辞を述べたり、スピーチを述べますが、約3万人ぐらいの方にSDGsの重要性を、その会合の趣旨に沿って、お話をしております。例えば、女性の会合に行けば「ジェンダーの平等」という話、また医師・看護師の集まる席では「質の高い医療」、また学校関係者は「質の高い教育」と、そのようにですね、17の目標をそれぞれの場に応じて、「非常に大事で、皆さま方が頑張ってきたことを、市を挙げて、みんなでやりましょう」と、こういうことを述べているわけです。従いまして、11月に、市民・各界挙げて、一堂に会して「今後、北九州市民はSDGsの達成に、トップランナーを目指して、全力で頑張ろう」という、そのことを誓ったわけでありますので、それぞれの団体について大事な目標、政策がありますので、それらを統合してですね、SDGsを進めることの重要性を改めて感じております。この件は、今年の夏ぐらいの時点で、環境で頑張ってこられた方々が、その人材育成でESDというのは非常に大事なので、「ESD表彰」というのを作ったということであります。従いまして、今後ですね、市としましてはSDGs(17の目標)があります。それぞれ関わり合う事業者や市民団体、個人がいらっしゃいます。それぞれについてですね、同じように大事でございますので、環境だけではなく、広くこれを表彰していくと。優良事例は表彰して、さらに広げていくと、こういうことが肝要と考えています。

記者
あくまで今回は、たまたま環境の話とかがあったから、環境局がやっていたけども、やっぱり。

市長
夏の話だったので。

記者
そうですね、でも11月30日までの踏襲ということですけども、来年以降は企画調整局のほうがちゃんと舵取りをして、17の目標に遍くやっていくということになるのですか、環境だけではなくて。

市長
SDGsを例えば「表彰」という方法で市民に広く知らせるということについては、17の目標を念頭にこれから考えることになります。ただ、今までずっと環境を中心にESDの活動もですね、意識をしてやってこられていますので、そのやっぱり歴史的な伝統というものも大事でございますので、それはそれでどのようにするかというのを併せて考えます。

記者
そして今、企画調整局のほうでSDGsのパンフレットを作っていて、そういうのを見てみると、例えば「子ども食堂」で教育の、「質の高い教育」というのが入っていたりするのですけども、でも実際、市で行われている「子ども食堂」の教育というのは、学校の宿題を教えたりとかしているところであって、「質の高い教育」とは言えないかなと思うところで、何か既存の物事に、無理やり17の目標を当てはめているような気がしないでもないのですけども、そこら辺の選定と、当てはめ基準というのはどうなっているのですか。

市長
ニューヨークの国連開合にも政府の勧めで行きましたし、またいろんな、有力な識者の講演なんかを調べたりしておりますが、始まったばっかりだということです。具体的な実践としては、それぞれに個性があります。従って、「北九州モデル」というものを創造していく必要があると思っております。今の段階は、どういうことをそれぞれが取り組むのかというのは、議論が相当にあると思います。そういう前向きな議論を通じてですね、方向性が固まってくるのだろうと、その走り出した段階ではないかというふうに思っておりますので、今後よく、関係の皆さま方のご意見も聞いて、前へ進んでいきたいと思います。

記者
その方向性は、いつ頃出るのですか。

市長
この時期になっておりますので、次の代の市長のもとで関係者が議論されることになるのではないかと思います。ただ、市役所といたしましては、市長選のある時は暫定予算でいきまして、6月に本格予算を出すことになっておりますので時間はその分あるわけでありますけれども、しかし、財政局を中心に、やっぱりその素案と言いますか、基本的な方向性はかなり議論が始まっております。毎年そうなのですが、もう秋ぐらいから始めないとですね、間に合わないという関係もあります。そういう中で、勉強はするかもしれませんが、基本的な方向性、結論というのは、次の代の市長が中心になってまとめることであろう、そこに私がいろいろと言うのはどうであろうかと思います。

記者
分かりました、ありがとうございます。

記者
その他、質問ございますか、どうぞ。

記者
すみません、長くなって申し訳ないのですけども、今、国会で水道法の改正案でですね、まずこれを急ぐというのがありまして、「事業の責任は自治体に残しつつ、運営を長期にわたって民間に委譲する」っていう。

市長
水道ですね。

記者
水道事業ですね。という議論があって、この辺の法案についての所感と、これを受けて何らか、今考えていることがありましたら。あと広域の連携の話も、議会の中心で盛り込まれている柱だと思うのですけど。

市長
まず、全国的に人口が減って、水道の需要に変化が生じるであろうと。今でも水道会計はかなり厳しくなっていて、これから先へ進むと、もっと厳しくなるかもしれないということで、例えば民営化の手法をどう取り入れるかということも議論をされているのだと思います。ただ、これはもうタイやベルリンの例を持ち出すまでもなく、よかれと思って民営化をしてみたらですね、また元へ戻るというような、非常に難しい問題もあるようでございます。その点は、外国の事例はそうでありますけれども、民営化という手法をどう進めるかについては、慎重な議論が今後必要だと思います。本市について言うと、水巻町、それと芦屋町については、もう同じ水道を、給水区域関係に入っておりますし、また広域連携も着実に進めておりますので、需要としては、人口は減ると仮に仮定いたしましてもですね、やっぱり広域連携だとか、そういう形でですね、水道関係の、水道の黒字を維持するために努力をしたいと思います。今のところ、あと2年間位は中期経営計画があります。そうしますと、来年ぐらいから議論が始まると思います。つまり、水道の中期経営計画ですか、その中で本格的に、中央でどこまで進むかでありますけれども、民営化の話、また他都市の状況なども考慮して、慎重に議論を進めて、次の中期経営計画に反映させるという、そういう段取りであります。

記者
特に質問なければ、これで終わろうと思います。来週、ちょっと議会の関係でないので、ちょっと今回、長くなってしまいましたが、ありがとうございました。

市長
ありがとうございました。

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広報室報道課
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