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山田緑地-「30世紀の森」づくり-

山田緑地と”「30世紀の森」づくり”

山田緑地は小倉都心部から車で10分程度の場所にある広域公園です。

広域公園とは「市町村を超える広域のレクリエーション需要を充足することを目的とする公園(都市公園法)」です。

北九州市では山田緑地以外に和布刈公園(門司区)、響灘緑地(若松区)、長野緑地(小倉南区)、中央公園(戸畑区、八幡東区、小倉北区)が広域公園として整備され、北九州市内外から訪れる方々に利用されています。

広さは140ha。そのうち現在、公園として利用されている区域は47haとなります。この広さは北九州市のシンボル公園である勝山公園(19.5ha)およそ2つ分にあたり、市内で3番目に広い公園となっています。

山田緑地は”「30世紀の森」づくり”をテーマとして公園を整備し、維持管理運営をしています。

”「30世紀の森」づくり”、途方もない未来の話ですが、山田緑地でどのような森をつくっていこうというのでしょうか?

これを知るためにまずは山田緑地の歴史と自然の変遷からたどっていきましょう。

開園当時(1995)の山田緑地の写真
開園当時(1995)の山田緑地
開園約20年後(2013)の山田緑地の写真
開園約20年後(2013)の山田緑地

公園になる前は?-”山田”集落時代-

戦前、現在の山田緑地周辺は“山田”という集落でした。

昭和10年ごろの山田集落の写真
昭和10年ごろの山田集落の様子

当時住んでいた方たちにお話を伺いました。

現在の芝生広場周辺にはのどかな田園風景が広がり、レンゲ畑や、ソバ、茶畑があり、川ではシジミが採れ、山からは木を伐り薪などに利用し、竹の子を掘って町に馬車で売りにいっていたそうです。

現在の野草広場や森のゲート周辺には民家が建ち並び、集落の中には神社やお寺、道祖神などがあり、のどかな暮らしが営まれていたそうです。

現在も公園内には当時利用されていた井戸などが残っています。

公園になる前は?-山田弾薬庫時代-

昭和9年になると旧日本陸軍が弾薬庫の建設・使用を開始し、昭和16年には現在の山田弾薬庫跡地(山田緑地を含む)の規模に拡大され、戦前、戦中は旧日本陸軍に、戦後は米軍に弾薬庫として利用されていました。

昭和45年に弾薬庫が閉鎖された後、この弾薬庫跡地をどのように利用していくのか議論が続きました。

そして昭和61年、山田弾薬庫跡地を3分割し、それぞれを防衛庁(現防衛省)、大蔵省(現財務省)、北九州市の3者で管理していくことになりました。

北九州市が利用する区域は広域公園「山田緑地」として整備することとなり、昭和62年に整備工事に着工、平成7年(1995)に公園として開設されました。

3分割管理の画像
3分割管理
弾薬を搬入する貨物列車プラットホーム(現在は撤去)の写真
弾薬を搬入する貨物列車プラットホーム(現在は撤去)
貨物列車プラットホーム

なぜ、山田緑地に自然が残ったのか?

山田集落時代(昭和10年ごろまで)、山田の自然地は生活の場、”里地、里山”として利用されていました。

弾薬庫となってからは弾薬庫関連施設の周辺では一定の管理が行われていましたが、それ以外の自然地の管理はほとんど行われませんでした。

そして、弾薬庫としての利用が停止された後はほとんど人の手が入らない状態が続きました。

一方で、弾薬庫という特殊性から一般の人は立ち入ることができない場所であったため、周辺で都市開発が進む中、山田弾薬庫跡地の開発は行われませんでした。

その結果、都心に近い場所でありながら、自然地が残ったのです。

土地利用の変遷画像
土地利用の変遷

どのような自然が残ったのか?

山田緑地が公園として整備される前の植生調査では「山田緑地は幾種かの”代償植生”を中心として構成されている」と報告されています。

”代償植生”とは「本来その土地に生育していた自然植生(原生林など)が人間活動の影響によって置き換えられた植生(二次林など)」です。

山田緑地には”山田”集落時代に人々が生活の中で利用していた竹林やコナラ林(薪炭林)、スギ林などが残されています。

山田緑地の植生を構成する代償植生の例(山田緑地開設当時、平成7年頃)

竹林(現湿生生態園近く)の写真
竹林(現湿生生態園近く)
コナラ林(現芝生広場近く)の写真
コナラ林(現芝生広場近く)
スギ林(現アゲハの谷)の写真
スギ林(現アゲハの谷)

代償植生は人間活動の影響が停止されることで自然植生の遷移が進んでいきます。

山田緑地の歴史から考えると昭和16年(1941)の弾薬庫利用開始から平成7年(1995)に公園利用が開始されるまでの弾薬庫関連施設の周辺以外の自然地にはほとんど人の手が入らなかったと推測されます。

このことから山田緑地の植生は、”山田”集落時代に里山として利用された植生が放置され、人間活動の影響を受けることなく約25~50年間自然遷移が進んだ植生であると考えられます。

公園計画策定時の植生調査においても森の一部では雑木林から照葉樹林へと遷移が進みつつある箇所が確認されました。

植生遷移図
植生遷移の図

山田緑地が目指す森づくりとは

こうした自然環境の状況を踏まえて、山田弾薬庫跡地において公園整備を進めていくため山田緑地基本計画が策定されました。

基本計画では、今後遷移が進むことで創出される照葉樹林を骨格とした多様な自然環境の維持創出することで、北九州地方に生息する生物の多くが生息する山田緑地の生物相の多様性を維持、さらには拡大していくこと、それらを継承する文化を30世紀に至るまで子孫に伝えていくことを目指しています((1)自然環境と文化の継承(2)生物相の維持(拡大))。

そして、市街地と緑地の境界部分に位置する山田緑地が市民が日常的に自然に接し、末永く親しむことができる場となり、さらには楽しみながら自然について知ることができる環境教育の場((3)まちと自然の接点としての存在、(4)環境活動機能の充実)としていくこととしています。

照葉樹林を骨格とした多様な自然環境
照葉樹林を骨格とした多様な自然環境のイメージ

”「30世紀の森」づくり”を実現させるために

これらを実現させるために山田緑地では大きく3つの区域に分け、整備・管理・運営を進めています((5)土地利用区分の設定)。

「保護区域」  自然遷移に委ね、照葉樹林を創出していく区域

「保全区域」  維持管理を行い、自然遷移を留め代償植生を維持していく区域

「利用区域」  公園として人々が自然と接し、親しむために利用していく区域

それぞれの区域が担う役割と機能を果たしながら、利用的にも空間的にも相互の連携が図られ、それぞれが相乗的に高め合うことで、”「30世紀の森」づくり”をテーマとする森づくりと利用の調和がとれた公園となることを目指しています。

各区域と管理方針の画像
各区域と管理方針

このページの作成者

建設局公園緑地部みどり・公園整備課
〒803-8501 北九州市小倉北区城内1番1号
電話:093-582-2460 FAX:093-582-0166

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